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joplus

Author:joplus
「もっと世界を見てみたい!」
という単純な理由で、
世界経済危機をものともせず…
否、ただ歯止めがかけられず、
会社を辞めて旅に出た浅はかな男。

でも、いつ終わるかわからない人生、
やりたいことをやりたい時に、
楽しめるだけ楽しまないと♪
…と、勝手に開き直ってる若造です。

たくさんの「違い」に出会うため、
風と気の向くままに歩き回ります。
キーワードは、「自然体」。
できるだけナチュラルな心で、
「違い」で溢れた世界に浸って来たいと思います。

(画像 : photo by たびかめ氏)

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仏教聖地探訪
再び、インドへ戻る。
その国境へ向かう夜行バスに乗った時の僕は、浮かない気分だった。

決して、ネパールに居た時間の全てがつまらなかったわけじゃない。
ただ、いつに無く消化不良感が残っているのは確かだった。
トレッキング以降感じていたズレの部分を、
最後まで修正し切れずに終わりを迎えてしまった…、わかりづらいけど、そんな感じ。

こんなテンションで、インドを楽しめるだろうか?
バンコクからデリーに飛んだ時の、あの高揚感が今は無い。
あの時は、無心でギラつく人の渦の中に飛び込んで行けたけど、
情けないことに、あの強烈なエネルギーと渡り合える自信がすっかり失せていた。

しかし、国境を越えた瞬間、「あれ?」って思った。
ここ最近引きずっていた(嫌なズレの感覚と、それを修正できない自分への)イライラ感が、
どこかへ飛んで行ってしまった気がした。
国が変わって心機一転、単純に気持ちが入れ替わったのか?
それも全く無いとは言えないけど、
国境を踏み越えた時の僕の心境の中に、ほぼそういう期待は無かったと思っている。
ほとんど無意識のうちに、インド側の空気に触れた途端に、
パッと足の重さが消え去ったように感じたのだ。

中国からラオスに入国した時の、あの感覚に似ていると思った。(→ こちら を参照)
自分でも実に意外な話なのだが、
僕はネパールよりインドの方と波長が合うのだろうか?

この両国を訪れる前は、逆だろうと思っていた。
ほぼ確信的に、そう思っていた。
「インドからネパールに入ると、その穏やかさに癒される。」
多くの人がそのように語っていたし、
賑やかな街より静かな田舎を好む僕が、
ネパールの方を強く気に入るのは間違いない!…はずだったから、不思議でしょーがない。

ただ一つ、前回インドに居たのは10日間ほどで、
さらにそのうち半分は、インドでありながら穏やかなチベット圏のダラムサラで過ごした。
まだ何かに疲れるほどインドを味わったわけじゃなかった。
もっと時間が経ってからネパールに来ていたら、また違っていたのだろうか?
けど、皆が言うほどネパールが穏やかじゃなかったのは確かだと思うんだが…。

まぁいい、完全に予想外だったけど、
何にしても気分良くインドに戻れたのは、悪くない流れじゃないか。
このフィーリングを信じて、突っ走ってみるのも面白い。テンション復活!

僕が今回利用したのは、ビールガンジ(ネパール側)-ラクソウル(インド側)の国境ポイント。
前回のルペディア(インド側)-ネパールガンジ(ネパール側)国境よりはメジャーと聞いていたが、
ハッキリ言って、こちらもいい勝負のローカルっぷりだった。
例の強盗多発地帯であるスノウリ国境を避けてこちらに来たわけだが、
拍子抜けするほど平和な雰囲気そのものであった。

この国境をインド側に抜けたツーリストの多くは、
まずはバスで約6時間ほど南へ、パトナーの町を目指す。
そこで別のバスや列車に乗り継いでもう一息南へ行けば、
仏教における最高の聖地の一つである、ブッダ・ガヤーに着く。

数日前までは、僕もそのルートに乗るつもりだった。
…が、本来こじんまりとした静かな町であるブッダ・ガヤーに、
現在は大量のツーリストが押し寄せていて、
宿も見つからない(or 超スペシャルシーズン価格になっている?)との情報が入った。
理由は、年明け間も無く行われる、ダライ・ラマ14世による「Teaching」だ。
それに向けて、既に町の宿泊キャパをオーバーするほどの人が集まっている、ということらしい。

ここでも書いた通り、僕は先月にダラムサラで行われた「Teaching」に、
実にタイミング良く参加させて頂くことができたのだが、
何の巡り合わせか、再び僕の予定していたルートと時期にドンピシャで合ってしまったのだ。
しかし、今回はどちらかと言えばバッドタイミングである。
今もう一度「Teaching」を受ける気は無かったし、
人で溢れたブッダ・ガヤーというのは、魅力を感じなかった。
結局、ブッダ・ガヤー訪問は諦めることにした。
ちょうど仏教に関心が沸いてきたところだったので、非常に残念だったのだが…。

そして次の目的地へ向かったところ、そこで出会った方から新たな情報を得た。
ここから日帰りできる距離にも、仏教の聖地とされる場所があるとのこと。
(よく読むと手持ちのガイドブックにも載っていたのだが、それによると、)
ブッダ・ガヤーが、ブッダが悟りを得た地ならば、
サールナートは、ブッダが初めて説法をした地だそうで、
いずれも四大仏跡の一つとされている。
うん、即決!早速翌日に行ってみることにした。

聖地サールナートまでは、オートリクシャー(東南アジアの「トゥクトゥク」と同じ3輪タクシー)を利用。
これ、絶叫マシン好きにはお勧め。下手な遊園地よりスリルを楽しめる。
車やバイクや自転車や牛(←インドらしい)の洪水の中を、
巧みなハンドル捌きですり抜けて行くのは、まさしくプロの技だ。
…まぁ、たまに事故っているのも見かけるけど。(笑)
ミラー越しに運ちゃんの顔を覗くと、
先程まで値段交渉をしていた時のヘラヘラ顔からは想像もつかない表情に驚く。
つり上がった目は、完全に「勝負」に入っている。
彼らにとって、これは戦いなんだ。町はレース場なんだ。

20ルピー(=約40円)のジェットコースターを降りれば、
そこはもうサールナートの中心広場だった。
広場のど真ん中には、巨大な赤茶色のストゥーパが立っている。
大昔、6世紀に造られたもので、高さは31mもあるそうだ。
…そんな歴史あるものとは露知らず、
裏門から遠目に眺めて満足し、入場料100ルピー(=約200円)をケチった自分…。
見たところツーリストよりも仏教徒の参拝客の方が多かったし、これは入っておくべきだったか…?

周辺を散策していると、各国の寺院がぽつぽつと建っている。
個人的には、ストゥーパよりこちらに興味があって、
国ごとの寺院の雰囲気の違いを見てみたかった。

例えば、「中国寺」はこんな感じ。
中国寺@サールナート
(チベットを除いて)中国で寺を見に行ったことはほとんど無かったが、
なるほど、こんな雰囲気だったかなぁと。

一方、「日本寺」。
日本寺@サールナート
ここに来て、ホッとしている自分がいて、驚いた。
日本にいる頃、寺にも宗教にも全く関心が無かった自分が、
日本式の寺を見て「いいな」と思うなんて、初めての経験だった。
この旅に出て、色んな宗教に触れてきて、自分の中で何かが変わった?

木彫りの味。
木彫りの味@サールナート

余裕の笑み。
余裕の笑み@サールナート
これは日本にいた頃から変わらないけれど、
僕は木の香りがする場所やモノが好きだ。

こちらは、「ビルマ(ミャンマー)寺」。
ミャンマー寺@サールナート

ミャンマー式、仏さま。
おばあさま?@サールナート
大変失礼だけど、「おばあちゃん」みたいだと思った。
和やかで親しみの湧く表情だなと。
これを見たからってワケじゃないんだけど、
僕にとってミャンマーは、今最も気になっている国の一つ。

灯火。
灯火@サールナート

------------------------------

さて、本日は大晦日。

…だよな?間違ってないよね?
と、不安になるほど、インドの町には全く年末の雰囲気が無い。
この国には、新暦の正月に年越しや新年を祝う習慣は無いようで、
恐らく、明日もいつもと変わらない1日になるのだろう。
そんな中で、今日で2009年が終わるということを、無理矢理意識してみる。

去年の今夜は、上海の駅近くで、友人達と火鍋を囲んでいた。
中国もまた、新暦の正月を祝う習慣がほとんど無いので、
その時はもちろん楽しかったけれど、静かと言えば静かな年越しであった。

1年前のあの日が、今、すごく遠い。
たった1年前のことだというのが、信じられないぐらい。

あれから、たくさん歩いた。
想像もしていない出会いが、いっぱいあった。
それらが恵んでくれた現実の充実感が、過去を遠くに感じさせるのかな。
けれど、旅に出る前の日々がどんなに遠くなってしまったとしても、忘れてはいないつもり。

僕の2009年初の目標は、「去年より楽しむ」だった。

うん、今年も楽しかった!

そう自信を持って言えるのは、何よりも、この元気な体のおかげ。
僕を今日ここに至るまで運んで来てくれた、全ての出会いと運に感謝!

大切な人たちが、皆元気に今を迎えられていることを願いつつ…、
さぁ来い、2010年!良いお年にしてやりましょう!

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旅日記-インド② | 19:50:36 | トラックバック(0) | コメント(3)
聖なるお目玉様
カトマンドゥの郊外に、目玉の付いたでっかいチョルテンがある。
僕にとっては、「チョルテン」というチベット語名を知らなかった頃から、
それが「ネパール」と聞いてイメージする風景の1つだった。

「目玉の付いたでっかいチョルテン」で有名な場所は、実は2ヶ所ある。
1つは、カトマンドゥの西の丘の上に立つスワヤンブナート。
こちらは「バンダ」に入る前に行ってみたのだが、
残念ながら肝心のチョルテンが改修中だった…。
いちおう敷地内には入れたものの、本当に「いちおう」行っただけになってしまった。

そしてもう1つが、東の市街地に立つボダナート。
僕が宿を取っていたカトマンドゥ中心部のタメル地区からだと、約6km。
普通はバスで行く人が多いのだが、
バンダ期間中だったため、暇潰しも兼ねて徒歩で行ってみた。

恐らくツーリスティックな場所だろうと覚悟していたのだが、
思っていたよりはずっと「聖地」らしい雰囲気。
東西南北、四方をじっと見つめる「お目玉様」が広場の中央に座り、
その外周を大勢のチベット人が参拝して回っている。
脇では、五体投地を捧げるおばちゃんの姿もある。
付近にはチベット仏教のゴンパも点在していて、袈裟をまとった僧侶も多く見かける。

外周のマニ車をくるくるした後、僕もおばちゃん達に混じって五体投地をしてみる。
僕のその行為に、祈りの心は無い。
遊び半分のようで、あまり良くない行為なのかな~とも思いつつ、
コレをやると色んなモヤモヤが取れてスッキリする。…ような気がするから好きなのだ。
正面に鎮座する「お目玉様」に睨まれていたかもしれないな…。(笑)

大目玉様。
お目玉様①@ボダナート
お目玉様②@ボダナート

荘厳ゴンパ。
荘厳ゴンパ①@ボダナート
荘厳ゴンパ②@ボダナート

お目玉様をぐるぐる参拝。
お目玉様をぐるぐる@ボダナート

マニ石の色付け。
色付け@カトマンドゥ

黙々と…。
黙々@ボダナート

僕がこの旅で「チベット的」な場所を訪れるのも、いよいよこれが最後になるかもしれない。
今回の旅を始める前から、チベットには行ってみたいと思っていたけれど、
その目的はチベットの文化ではなく、チベットの壮大な自然にあった。
色んな偶然が重なり、結局中国のチベット自治区入りは諦める代わりに、
自治区の外にあるチベットエリアを巡ることになって、
なんとなく、そこでの空気にフィーリングが合うように感じ、
いつしか僕の興味は自然風景だけでなく文化的宗教的な面にも入り込み、
インドやネパールに来ても、積極的にチベットエリアを訪問するようになっていた。

色鮮やかなタルチョのはためき、
青空を突き刺すような白のチョルテン、
カタカタカタ…、チリーン…、回る回るマニ車の音。
日本に帰ってから、最も懐かしくなるものの1つに違いない。

また、会いに来よう。
その時までに、チベットのことをもう少し勉強してみようと思う。
もう一歩、彼らの世界に踏み込んで見てみたい。

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旅日記-ネパール | 19:10:19 | トラックバック(0) | コメント(2)
Hindu Cremation
「聖なる川」とされる流れは、
その水に透明度こそ残っているものの、
ゴミだらけのドブ川と言われればそれまでの汚さだった。

川の対岸は、ネパール最大のヒンドゥー寺院・パシュパティナート。
ヒンドゥー教徒以外の立入が禁じられている聖地である。
その川原で今、真っ白な足が洗い清められていた。
頭から太腿の辺りまでは、足よりもさらに真っ白な布で覆われている。
僕は反対岸の石段に腰掛け、その様子を眺めていた。

足が清められると、白い布の上に、さらに鮮やかなオレンジの布が掛けられる。
その後、橋を挟んで向こう側にある、円形の石の台の上へと運ばれて行った。
台には、すでに薪が組まれていた。
布で包まれた人 ― 遺体は、静かにその上に載せられ、さらに上から藁を被せられた。
間も無く、火が付けられた。
初めは、遺体の頭の当たりから火を付けたように見えた。

しばらくは、対岸からだとほとんど煙も見えず、
本当に燃えているのかどうかもよくわからない状態だった。
やがて30分程経つと、ようやく薪に火が移り、「炎」となった。

1時間…
2時間…

まだ火は燃え続けていたが、
全てが真っ黒に変わり果て、
どこまでが木で、どこまでが人の部分だったのか、もう遠目ではわからなくなってしまった。

そこは静かな場所だった。
…と言っても、全く音が無かったわけではない。
火葬が行われているのと反対岸 ― つまり僕の居る側の岸では、
原っぱに立てられた即席サッカーゴールを使って、子どもたちが走り回っている。
石段の下に目を移すと、食器や服を洗うおばさんや、髪を洗うお姉さんがいる。
「バンダ」の影響か、ここまで訪れる観光客は少なかったが、
地元の人も含め、石段に座る僕の背中側にある道を歩いて行く人は少なくない。

ただ、全体の雰囲気として、僕は「静か」だと感じていた。
対岸でパチパチと燃え続ける火も、それを見守る人の姿も、静かだった。
空には爽やかな青、清々しい空気。
静かで穏やかな、日常の風景だと思った。

聖なる川の、その脇で行われている神聖な「火葬」の儀。
名前も知らない他人が葬られる光景を見学するという行為に、
初めは抵抗も感じていた僕だけど、
それは僕の葬儀に対する(日本的で、しめやかな)イメージによる感覚でしかなかった。
ここで行われる葬儀には、(誰かに対して)「隠す」という考えが無い。
静かに、ただ静かに、完全に「日常」の中に溶け込んでいるようだった。

パシュパティナート寺院には入れないが、参道の散策は自由。
そこで見かけたものを少しだけ。

ヒンドゥー的タワーズ。
陽の当たる列塔①@パシュパティナート
陽の当たる列塔②@パシュパティナート
ヒンドゥー的タワー@パシュパティナート

闇への通路。
闇への通路@パシュパティナート

祠に神様。…だけど、仏教の観音様のように見える?
ある神サマ@カトマンドゥ

シンボル。
シヴァ神の象徴@カトマンドゥ
シヴァ神というネパールで人気の神様の象徴で、
その男性器を象ったものらしい。(「リンガ」と呼ばれる。)
また、下の台は女性器を象ったものだそうで…。言われなきゃわかんないけど。
妙なものを信仰するもんだ…、というのが正直な感想。

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旅日記-ネパール | 18:55:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
ノイズが消えた3日間
人が密集する路地裏を、バイクが駆け抜ける。
大通りでは、渋滞する車の合間を縫って横断する人たち。
鳴り響くクラクション、砂埃と排気ガス…。

僕が到着した日のカトマンドゥは、噂に聞いていた通りのごちゃごちゃぶりだった。
しかし、その3日後。
町から車とバイクが消えた。

日本で、僕はストライキに遭ったことがあっただろうか?と思い出してみるが、記憶に無い。
どこそこの交通機関がストに入る可能性がニュースになっているのを見たことがあっても、
結局は前日までに回避され、なんら変わらない日常を過ごしていたからだ。

ここネパールで、「バンダ」と呼ばれるストライキが頻発しているとは聞いていたが、
見事にそのタイミングに当たってしまったらしい。
反政府組織団体が現行政府に対して行うもので、
ネパール全土で全ての交通機関(バス、タクシー、たぶん飛行機の国内線も?)がSTOPするだけでなく、
個人所有の車やバイクも事実上使用停止になり、
町中の商店(飲食店含む)がシャッターを閉める。
「個人」の店や乗り物にまで影響が出るというのが、
日本でイメージするストライキと最も異なるところだろう。
仮に店や乗り物を稼動させていることがバンダを主導している側にバレると、
強制的に止めるよう指示されるだけでなく、
石を投げつけられたりといった報復措置を受けることもあるらしい。

一見、旅行者にとっては迷惑この上ない騒動なのだが、
唯一のメリットは、どこでも歩行者天国状態になるため、散歩にはうってつけということ。
初日のノイジーさからは信じられないぐらい、通りは静かになった。
歩いていると、時折デモ行進をする市民らを見かけたり、
広場の真ん中で何やら演説をしている集団を見かけたりするが、
暴力的行為に至るような雰囲気は感じなかった。
交差点に出る度に武装した警官達の姿を見かけるものの、
彼らの表情も固くない。のんびり雑談をしながら、いちおう監視中といった感じであった。

実は商店も全てが閉まっているわけではなく、
大通り沿いやツーリストエリアを外してローカルな道に入って行くと、
小さな食堂や露店は開いていたりするので、何も食べるものが無いということもない。
(よくわからないけど、そこまでは規制する手も回らないということなのかな…?)

ローカル食堂のモモ(蒸しギョーザ)。
ローカルモモ@カトマンドゥ
チベット料理のモモとは違って、饅頭型なのが特徴。
具には水牛の肉を使っていることが多いが、
店によっては、野菜だけのモモを置いているところもある。
10個で30ルピー(= 約40円弱)ぐらいなので、
いつかギョーザを腹いっぱい食べたいと願っていた僕のような人間にとっては、
夢のような場所なのであった☆
…が、味はやっぱり中国の方が上かなぁ~。
こちらも十分美味いけど、やっぱギョーザは酢醤油で食すが一番!

トゥクパ(野菜&卵入り)。
エッグトゥクパ@カトマンドゥ
ネパールのローカルフードの一つになっているが、これはチベット料理。
うどんやラーメンに近い麺料理なワケだが、
これと言って特徴があるわけじゃないので、
何をもって「トゥクパ」になるのか?は、僕もよくわからない。
ただ、この店のスープは、野菜の旨みと思われるコクがあって美味しかった。
店によっては、味も素っ気も無いさっぱりスープだったりするので…。
麺は、どこで食べても出来合いの乾麺を使ってるようだったなぁ。
久々に、手打ちの食べ応えある麺が食べたくなってきたぞ。

至高のネパール定食・ダルバート。
ローカルダルバート@カトマンドゥ
前回載せた山のダルバートよりも、ちょっと豪華になったかと。
しかし、ダルバートのポイントは、ダル(豆のスープ)に有りと考える。
しっかりとコクが出ているものもあれば、水っぽいだけのものもある。
タルカリ(おかず)の豪華さも嬉しいけど、ここのダルは「当たり」だった。
これだけでご飯が進む進む~☆

ちなみに、ここカトマンドゥは、美味しい日本食が食べられることでもちょっと有名な町。
僕もバンダの前後に何店か行ってみたのだが、確かにレベルは高いと思った。
ちゃんと日本の米を使っていたり、自家製で味噌や漬物を作っていたり。
安さも魅力で、例えばカツ丼なら200円ぐらいで食べられる。
…でもね、どんなに頑張っても、日本で食べる味には敵わないんだな…、と思う。
そして、ローカルフードの味にも敵わない、とも思う。
なぜなら、ここはネパールだから。
この土地の水に、空気に、どうしても日本の米や食材が馴染めないんだと思う。
ここでは、パラパラのインディカ米を使ったダルバートに勝る食事は無い。
世界中どこに行っても、きっと僕にとってはローカルフードが一番なのでしょう。

ところで、今回のバンダは3日間に渡って続いた…。
散歩で行ける範囲と言っても限界があるわけで、
さすがに後半は時間を持て余してしまった。
町中のユルい雰囲気を見ていると、
果たして3日もやる意味があったのか?効果はあったのか?と疑問が残る。

ちなみに、何人かの一般のネパール人に話を聞いてみた限りでは、
現在の政府に対しては、「ダメだ」と否定的な意見を口にする人が多い。
かと言って、バンダはやはり彼らにとっても面倒なことのようで、
やれやれ…といった雰囲気であった。

3日後、再び町は喧騒を取り戻した。
やかましいし、空気も悪いけど、この町には騒々しさの方が似合うのかな…?
…なんて思ったのは一瞬だけだよ。
やっぱりうるさ~い!

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旅日記-ネパール | 18:10:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
山とワタシ
標高4,000mを超えるアンナプルナ・ベース・キャンプ(A.B.C.)に向けて、
再びトレッキングコースは高度を上げ、3,000mを突破した。
既に1週間以上トレッキングを続けてきた僕の体は、
今度こそ高山病とは無縁で歩き続けられそうだった。

…と思ったら、…ん?は、腹が痛くなってきた!
前日夜に、ここぞとばかりにダルバートを食べ過ぎたせいか?
タルカリに入っていたじゃがいもかな…、腹にガスが溜まってる痛みだ…。

ようやく足の疲れがピークを過ぎ、この2日間はペースも上がってきていたところだったのに、
またも足取りが重くなってしまった。
A.B.C.までの予定時間の4時間を過ぎても、まだ中間地点を過ぎた辺りにいた。
そこでようやく痛みが引いてきたのだが、
今度は空に一気に雲が広がり、やがて小雪が舞い始めた。
…もう、踏んだり蹴ったり。かつての僕の「山運」はどこ行った?

A.B.C.には、結局予定より約2時間遅れで到着した。
トレッキングをスタートして9日目にして、ようやく踏みしめた最大の目的の地。
…だったはずなのに、まるで達成感が無い。
それどころか、思いもよらなかった考えが自分の中で浮かんだ。

「もう、下りちゃおうか?」

自分で自分に驚いた。
そもそもこの山が昼から曇りやすい場所であることは知っていたし、
これから夜を待ち、朝になるまでには、十分に晴れる可能性はある。
このA.B.C.で見る朝焼けこそ、このトレッキングのハイライトではなかったか?
だいたい、今だって曇り空ではあるが、
ほぼ全周を7,000~8,000m級の山々や氷河に囲まれ、壮大な景色には違いないじゃないか!

…そう自分に言い聞かせるが、気持ちは止まらない。
A.B.C.に、小雪をはらんだ冷たい風が吹きつける。
6時間近くもかかったとは言え、朝早く出てきたために、まだ時刻は13時。
他に登ってきているトレッカーもほとんどおらず、尚更寒々としているように感じる。
この場所に夜まで留まることが、それこそ凍えそうなほど孤独に思えた。
それに、仮にこの寒さに耐え、明日どんなに美しい朝焼けが見られたとしても、
この徒労感を超える満足感はもう得られない気がしていた。

そして、僕は下った。
途中、1人の日本人とすれ違った。
今から朝を待たず下りようとする僕に、「もったいないですね。」と彼は言った。
当然のコメントだった。
それを聞いて少しだけ僕の心も揺れたけれど、下ろうとする足はそれでも止まらなかった。
6時間近くもかかった今日の道のりを1時間半で下り、
さらにその先へ、まるで逃げるように下って行った。

下り道で見たもの。雲に挟まれた空間。
雲ばさみ@アンナプルナ・トレッキング

霧隠れの里。
霧隠れの里@アンナプルナ・トレッキング

眠りの森。
眠りの森@アンナプルナ・トレッキング

翌朝は、快晴だった。
A.B.C.は1つ尾根の向こう側なので、その空模様までは見えないが、
恐らく晴れているような気がした。
でも、それもどうでも良かった。
「僕が下ったから晴れた」のであって、
「僕が留まっていたら曇り」だっただろう…、そんな気がした。
あの場所に、僕は歓迎されていなかった。なぜかそう確信していた。

「俺にとって、山って何だろう?」

黙々と足を動かしながら、どうでもいい疑問についてぼんやりと考えた。
僕は、「そこに山があれば登りたくなる」ぐらい、山が好きな人間だと思っていた。
でも、そうでもないことが今回わかった。
登ったその先や、登るその道に、その時強く見たいものがあるから登っていたのであって、
「登ること」そのものが好きなわけじゃないんだ。
山を歩くのは、やっぱりキツい。
それでも歩くなら、キツさを上回る何かが欲しい。
そこで初めて、疲れが快感に変わる。

今回のアンナプルナ・トレッキングで、僕は何が見たかったんだっけ?
「アンナプルナ」という響きに引かれ、
「ネパールと言えばトレッキング!」と思い込み、
「自分は山好きなんだから、行っとくしかないでしょ~!」と、
みんなが行くコースに乗っかってしまっていただけじゃないか?

強いて挙げるなら、「ヒマラヤの迫力」には興味があった。
でも、それは途中で訪れたプーン・ヒルでも十分に感じられたし、
もっとポカラからも近い、1~2日で行ける場所でも素晴らしい展望が拝める場所はある。
もちろん、A.B.C.ではそれ以上に山々に近付けて、
それこそヒマラヤは圧倒的な迫力で迫って来る。
けど、そのためだけに往復何日も費やすには、
その途中の道が僕にとっては退屈で、しんど過ぎた。
これは、パキスタンでラカポシB.C.に登った時(→ こちら を参照)に感じたことと全く同じだった。

そんなアンナプルナエリアでも、気に入った山がある。
青空に、魚の尻尾①@アンナプルナ・トレッキング
青空に、魚の尻尾②@アンナプルナ・トレッキング
山の名は「マチャプチャレ」、英語名は「Fish Tail」。なるほど、そんな形かな。
8,000mを超えるアンナプルナに対して、この山は7,000mにも満たないけど、
これほどの高さになると、下界から見てる分には1,000mの差なんて正直よくわからない。
山は高けりゃいいってもんじゃないってこった。

このトレッキングコースで、何度も欲しいと思ったものの1つが、「色」。
鮮やかな花々、赤や黄に色づく草木、青を湛える池、
それらがゼロとは言わないが、ほとんど見かけられなかった。
荒涼とした岩の大地や、うっそうとした森林を黙々と行く道がほとんどだった。
これは、僕が選んだ時期も失敗だったのかな…?

無理矢理、色を加えてみましたの図。
タルチョで色付け①@アンナプルナ・トレッキング
タルチョで色付け②@アンナプルナ・トレッキング
タルチョで色付け③@アンナプルナ・トレッキング

もう1つ欲しかったものは、「優しい道」。
A.B.C.への道は、わかりやすく広い登山道になっていて、
一見歩きやすい「易しい道」ではある。
アップダウンが多くて意外とハードな場所もあるが、それは別にいい。
ただ、その多くの斜面が石段で整備されていることが辛かった。
石の階段は、足への負担が大きい。
特に、下りでひざに掛かる負荷がキツく、
後半の下りで、僕の右ひざはガクガクになってしまった。
土のまま固めた道ならば、格段に楽に歩けるものなのだが…。

最後の石段を下りきり、ポカラ行きバスの走る舗装道に立った。
その時、僕が感じたのはやはり達成感ではなく、ただ安堵感があるのみだった。

------------------------------

…う~む、何て暗~いトレッキング日記なんだ。
正直、今回は更新するのも気が重かった…。
しかし、アンナプルナを歩いてこんな捻くれた感想を言っているのは僕ぐらいのもの。
ポカラで会ったトレッキングを終えた人たちは、
みんな口々に「素晴らしかった!」と言っているので、
どうか僕の話など鵜呑みにされませぬよう…。

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旅日記-ネパール | 21:25:57 | トラックバック(0) | コメント(4)
山の挨拶はマナーか?
学生の頃、初対面での僕の挨拶の声が小さかったらしく、
ある先輩に会う度に「ちゃんと挨拶できるようになったか?」と言われていたことがあった。
別に体育会系じゃないので、それは厳しく言われていたわけじゃなく、
その先輩はいつも半ば冗談のような口調で言っていたのだが、
彼は実際、いつ会ってもにこやかに挨拶を交わしてくれる人だった。

日本では、山で登山者同士がすれ違い様に挨拶を交わすことは、
1つのマナーとして行われている。
これは日本だけの常識では無いようで、
ここネパールの山を歩く欧米人のトレッカー達も、
皆気持ちの良い挨拶を交わしてくれた。

ただ、これはスイス・アルプスを歩いていた時にも感じたのだが、
彼ら欧米人トレッカーの場合は、マナーであるとか無いとかではなく、
もっとより自然に、純粋にそれが気持ち良くて「ハロー!」と声にしているように思う。
その表情に、すごく心のゆとりを感じるのだ。

ラトパニという集落まで下ったところでジョムソン~ベニ間のコースを離れ、
A.B.C.方面へのコースに入ると、間も無く車道は無くなり、
そこで暮らす人達の生活道も兼ねた山里の道に変わっていく。
当然、現地の人々とすれ違う機会も多くなり、
その度に「ナマステ!」と挨拶をしてみるのだが…。
全ての人がそうだったとは言わないけれど、
気持ちの良い笑顔で「ナマステ!」が返って来ることは、悲しいぐらいに少なかった。
笑顔も無く、ボソッとつぶやくような「ナマステ。」だったり、
時には無言で見つめられるだけだったり…。

ジョムソン周辺に比べれば、歩いているトレッカーの数は増えた。
ここでは外国人を見かけるのも珍しいことではないはずで、
少なくとも、知らない人間の訪問に驚いて挨拶の言葉も出ない…なんてことはないはずだ。

一方、珍しくおばちゃんの方から元気良く「ナマステ!」と言ってくれたかと思えば、
二言目には、「(Do you want)Orange?」だったり(木にオレンジがたくさん生っていた)、
同じく「ナマステ!」と走って来る元気な子どもがいたかと思えば、
二言目には、「(Do you have)sweet?― 甘いものちょうだい?」だったり…。

こういうのは、残念ながらツーリストが多い場所ではどこでも似たようなものだし、
僕らが与えた影響である以上、ある意味仕方ないとも思っている。
ただ、前者の挨拶すら気持ち良く交わせない人達は…、なぜなんだろう?
僕は、(僕ら外国人トレッカーが)歓迎されていないのかな?と感じてしまった。
トレッカーが訪れることによって、何か嫌な思いでもしているのだろうか…?

でもね、たとえそうだとしても、あの先輩が教えてくれた(と僕は思っている)ように、
挨拶は人と人とが気持ちを通じ合うための基本中の基本。
それはいつどこに行っても、国が変わろうと人種が変わろうと、全世界共通のことだと思うんだ。
同じ人として、挨拶が交わせないってことはすごく寂しかった。
すごく彼らとの間の距離が遠く思えてならず、この人里を歩く時間も今一つ楽しめなかった…。

話は変わって…、ラトパニから約3時間登り続けた辺りで、
ふと、ウエストポーチをザックの中に詰めてしまいたいと思った。
と言うのも、僕のウエストポーチ(兼ショルダーバッグ)はビッグサイズなため、
登りで足を上げた時にいちいちひざが当たっており、疲れを増長させているように感じたのだ。
実は出発前にもザックに詰めようとトライしたのだが、
その時はうまく詰めきれず、断念したのだった。

が、歩いてみるとやっぱりキツい!もう一度本気で詰め直してみよう!
…で、やってみたところ、おぉ!入ったじゃ~ん☆

5分ほど歩いてみた。
ザックは重くなったものの、ひざが楽になった分、やはり楽になった気がする。
いや~、やっぱりやってみるもんだね!意外とラクに入ったし☆

さらに5分ほど歩いて、またふと思った。
…いや、待てよ?ラクに入った?
…何かが足りなくなかったか!?

また5分後。僕はザックを下ろし、しばし悩んでいた。
やはり、無くなっているものがあることに気付いたのだ。
それは、ポカラで調達したばかりのダウンジャケット。
確信は持てなかったが、昨日ラトパニで泊まった宿でザックを開けた時点ではあった気がする。
その部屋に置き忘れている可能性が高い。
まだ時間はお昼前。今から行けばここまでは戻って来れる。
しかし、3時間も登って来た道をまた往復するのか…?
そこまでして、もし見つからなかったら…?

迷いに迷ったが、取り戻しに行くことに決めた!
決め手になったのは、そのジャケットをまだ一度も使っていないこと。
このまま失くすなんて、悲しすぎる!

近くで見つけた宿にチェックインしてザックを置き、
先程しまいこんだポーチを引きずり出して肩に掛け、走り出した。
登りに3時間を要した道を1時間ちょっとで下り切り、昨日の宿に駆け込む。
そして、泊まった部屋のベッドの下を覗き込み…、
無事、感動の再会を果たしたのであった☆

…と、またしても自らの忘れっぷりが引き起こした、実に下らないハプニング。
ただ失くしものが見つかっただけのことで、これで予定より1日ロスしてしまったのに、
ちょっぴり気分の晴れた自分がいた。

二度歩いたおかげで、見られた景色もある。
再び歩いた丘の上から①@アンナプルナ・トレッキング
再び歩いた丘の上から②@アンナプルナ・トレッキング
朝に登った時、ここはまだ日陰だった。小さなご褒美、かな?

棚田模様。
棚田模様@アンナプルナ・トレッキング

無事ジャケット回収に成功した翌々日、
朝焼けの展望で有名なポイント・プーンヒルに登った。
3,000mを超える夜明け前の丘で、ジャケットは大活躍してくれた☆

夜明け前。
夜明け前の丘で①@アンナプルナ・トレッキング
夜明け前の丘で②@アンナプルナ・トレッキング

間も無く夜明け。
邪魔な雲だけど…①@アンナプルナ・トレッキング

夜明け。
邪魔な雲だけど…②@アンナプルナ・トレッキング

雲が…、邪魔!
邪魔だけど、これはこれでいいか…。

夜明け後。
夜明け後の丘で①@アンナプルナ・トレッキング
夜明け後の丘で②@アンナプルナ・トレッキング

こちらは、そのまた翌日。今度こそ見事な朝焼け。
見事な朝@アンナプルナ・トレッキング

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旅日記-ネパール | 20:55:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
車道が通って…
僕は来るまで知らなかったのだが、
ジャルコットまでは未舗装ながらも車道が通じていて、時折ジープやバイクが走って来る。
さらに、麓のベニという町からジョムソンまでは、1日数本バスも走っている。
(ベニまではポカラからのバスがあるので、公共交通だけでジョムソンまで行けてしまう。)

ジョムソン周辺ではトレッキング専用の道は少なく、
これらの車道を歩くことになる場所が多いのだが…。
前から後からやって来る車には賑やかなクラクションをガンガン鳴らされ、
さらに通りすがりに容赦無い砂埃攻撃を喰らわされる。

そんな状態だからなのか、特にベニ~ジョムソン間を歩く人は減っているようで、
1日歩いてもすれ違うトレッカーは10人程度だったかもしれない。
まぁ、無理も無い…。ハッキリ言って、歩いて気持ちのいい道とは思えなかった。

僕はいちおう歩き通してみたわけだが、
特にジョムソンを過ぎた後の町の雰囲気は、どこも暗い感じを受けることが多かった。
既にオフシーズンに入っている(オンシーズンは11月までらしい)ということもあるけども、
それにしても、店や宿にまるで活気が感じられない。人の笑顔が少ない。
気のせいか、僅かながらも訪れたトレッカーまで、表情に明るさを失ってしまっているような…。

一方、町にはトレッカー相手の仕事ではなく、農家などを営む一般の人々も暮らしている。
結果的にトレッカーを減らす結果になってしまったこの道路整備だが、
彼らには恩恵がもたらされているはずである。
この利害の不一致を巡って、きっと一悶着あったんだろうな…と、勝手な想像。

道は砂埃にまみれていても、展望は悪くなかった。
ジョムソンから下って行くと徐々に木々も増えてきて、
ジャルコット周辺の荒涼とした大地とはまた違うヒマラヤが見える。

丘に立つ家々と。
丘に立つ家々と@アンナプルナ・トレッキング

名も知らないロッジと。
名も知らないロッジと@アンナプルナ・トレッキング

名前も無い池と。
名も無い池と@アンナプルナ・トレッキング

陽の当たらない壁。
陽の当たらない壁@アンナプルナ・トレッキング

雲が迫る夕暮れ。
雲が迫る夕暮れ①@アンナプルナ・トレッキング
雲が迫る夕暮れ②@アンナプルナ・トレッキング

ところで、ネパールでトレッキングコースとして整備されている場所では、
1~2時間も歩けばどこでもほぼ確実にロッジが見つかるようになっている。
宿泊費は格安で、ドミトリーなら1泊100ルピー(=約125円)もあれば確実に泊まれる。
ロッジでは食堂を併設しているのが普通で、泊まったらその宿で食事を取るのが基本。
(恐らく、食事代の方が収入のメインになっているはずなので。)
ロッジは、1つの集落あたりに何軒か固まっているのだが、
基本的には宿泊料金も食事のメニューも統一されている。
(ただ、僕が訪れたのはオフシーズンだったため、ロッジによって多少の料金交渉は可能だった。)
部屋や設備は大差無いことが多いので、残る選択基準と言えば、
人の良し悪しと食事の内容ぐらいのもの。
もちろん、食事の味は頼んでみるまでわからないので、
とりあえず人の良さそうなロッジを選んだら、あとは料理するおばちゃんの腕に祈るのみ…。

僕が夕飯に毎日食べていたのは、ネパール式定食・ダルバート。
山のダルバート@アンナプルナ・トレッキング
ライス(バート)に豆のスープ(ダル)、
おかず(タルカリ)には、野菜のカレーが1品。それとピクルス。これが基本。
町で食べると、タルカリがもう少し豪華だったりする。
ダルやタルカリの味付けはスパイスだが、インドほどスパイシーではなく、飽きの来ない味。
そしてこれの何が素晴らしいかって、ダルもバートもタルカリも、全て「おかわり自由」ということ!
…と言っても、見ての通り一発目の盛りも多いので、僕は1回おかわりすれば十分。
どんなに山の上に行っても、値段は上がれどそのスタイルは変わらない。
1日歩き通してスカスカになったお腹に、これほど嬉しいことは無い。
そして、「おかわり自由」の代わりに、誰も食べ残しを作っていないこともまた素晴らしい。

写真にはスプーンも付いているが、
ネパール流は、まずライスに豆スープをぶっかけ、右手でぐちゃぐちゃ混ぜて食べる。
僕もこれに倣い、いつも手を使って食べていたのだが、
慣れないうちは、ライスと豆スープの熱さで指先を火傷しそうになる。
食べる行為に手を使うことにあまり抵抗を感じないのは、日本人だからなのかな?
寿司だったりおにぎりだったり、日本でも手を使って食べることは多いもんね。
手を真っ黄色に染めてムシャムシャ食べる姿に行儀もへったくれもないけれど、
食感と触感で「食ってる」感を実感できるこのスタイル、僕は好きだなぁ。

ちなみに、地元ネパール人は、毎日朝10時頃と夜7時頃の2回、このダルバートを食べるそうだ。
うん、確かにこれだけのボリュームで腹持ちも十分、3食は必要ないやね。

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旅日記-ネパール | 20:40:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
始まりは寝坊と頭痛から
鳥の声が聞こえた。
カーテン越しに、淡い光を感じる。

…イヤ~な予感。

ベッドの横には、今日のために昨日購入した目覚まし時計。
(元々持っていたものが少し前から調子悪くなっていたので、新規購入した。)
針は夜中の0時過ぎを指していた。
良かった~、まだまだ寝れるじゃない?

…ってそんなわけないがな!

時計の針は止まっていた。
いや、正確には、秒針は一生懸命進もうと頑張っているのだが、
よく見ると、先端が外側に曲がった長針に引っ掛かってもがいているのだった。

今日からのトレッキングに備えて、
ジャケットやらシューズやら、前日に色んなものを一気に買い揃えたのだが、
急いだ分、何か1個ぐらい粗悪品を買ってしまっているような気もしていた。
それが、よりによって時計で的中してしまったとは…。

当初、僕はここネパールで1週間強×2回のトレッキングに行こうと考えていたのだが、
以降のスケジュールを変更した関係で、2回分の時間を取るのが難しくなってしまった。
そこで、場所をアンナプルナ・エリアに絞って1回のトレッキングにする代わりに、
距離を少し伸ばして10日強のコースを組むことにした。
元々アンナプルナ・エリアでメインに考えていたのが、
アンナプルナ・ベース・キャンプ(以降、略称で「A.B.C.」)への往復コースで、
これだけだと約1週間の行程になる。
これに、アンナプルナ北東に位置するチベットエリアを歩くコースを加えることにした。
ただ、こちらも往復するとさらに1週間~10日を要してしまうため、
このコースの中心地となるジョムソンの町まで、往路は飛行機を使うことに決めた。
これで3~4日は行程を短縮できる。(我ながら、奮発したもんだ…。)

そして、朝7時ポカラ空港発ジョムソン行きの便を予約していたわけなのだが…、
時計代わりにもしているデジカメの電源を入れ、正しい時間を見ると、ちょうど6時半。
瞬間、焦りと希望が同時に沸き起こった。タイムリミット30分!
猛スピードで荷物を詰め込み、
ちょうど起きて来た宿の姉ちゃんに大急ぎで門の鍵を開けてもらい、
大通りへ飛び出してタクシーを捕まえる。
…が、こんな時にタクシーが料金をボッてきやがる!
選んでいる時間も無いので、相場料金で乗せるよう半ば脅迫気味(?)に怒鳴り、
なんとか押し切って乗車した。

幸い、走り出してしまえば空港までは10分もかからない。
タクシーが空港に滑り込んだのが6時50分。
国内線のみの小さな空港で、建物に入ればカウンターは目の前。
僕が乗る便も定員20人程の小型機だったのがこれまた幸いし、
なんとかこのタイミングでも搭乗に間に合った。

しかし、山を歩き出す前から早くも息切れ。
今思えば、この慌しいスタート時点から、リズムに乗れていなかったのかな…?

飛行機は一気に約2,700mのジョムソンへ。
ポカラ上空に漂っていた低い雲の領域を抜け、こちらは快晴だった。

この日は、標高約3,600mのジャルコットまで登る。
青空の下、張り切って歩き出したはいいが、
1~2時間したところで…、ん?頭が痛くなってきた?

スイス・アルプスでも、パキスタンのトレッキングでも、中国のチベットエリアでも、
今まで高山病とは無縁で来たので大丈夫かとは思っていたが…。
ちょっぴり寝不足、ちょっぴり風邪の治りかけ、
そして空路で一気に高度を稼いでしまい…と、バッドコンディションが揃ったために、
高山病の初期症状である頭痛を発するに至った模様。
幸い、頭痛はそこまで悪化せず、
その他の症状(食欲不振や吐き気など)には至らずに済んだが、
足取りは一気に重くなり、初日から苦しい歩きとなった。
やっぱり高地の厳しさを侮ってはいかんね~。

トレッキングルートより、ヒマラヤ・モーニング。
ヒマラヤモーニング@アンナプルナ・トレッキング

陰影。
陰影@アンナプルナ・トレッキング

色付き。
色付き@アンナプルナ・トレッキング

途中に立ち寄った町・カグベニの遠景。
カグベニ遠景@アンナプルナ・トレッキング

カグベニの子どもたち。
お遊び中@アンナプルナ・トレッキング

なんとか辿り着いた初日の目的地・ジャルコットの遠景。カッコいい!
ジャルコット遠景@アンナプルナ・トレッキング

ジャルコットの宿より、ヒマラヤ・イーヴニング。
ヒマラヤイーヴニング①@アンナプルナ・トレッキング
ヒマラヤイーヴニング②@アンナプルナ・トレッキング

そして、ここもチベットエリア。ヒマラヤのゴンパ。
ヒマラヤのゴンパ①@アンナプルナ・トレッキング
ヒマラヤのゴンパ②@アンナプルナ・トレッキング

お馴染み、マニ車群。
お馴染みマニ車群①@アンナプルナ・トレッキング
お馴染みマニ車群②@アンナプルナ・トレッキング

お古チョルテン。
お古チョルテン①@アンナプルナ・トレッキング
お古チョルテン②@アンナプルナ・トレッキング
真っ白で美しいチョルテンに見慣れてきたけど、
今まで中国で見てきたそれらがキレイなのは、
数十年前の文化大革命によって一度全てを壊された後、
新たに作られたものだからなんだよなぁ…。
こうして古ぼけたチョルテンを目にすることで、改めてその歴史を感じさせられる。

これもチョルテン…?
チョルテン…?@アンナプルナ・トレッキング

巨大マニ石。
巨大マニ石@アンナプルナ・トレッキング

ところで、初日にジャルコットで泊まった宿をチェックアウトしようとした時のこと。
「あんたが泊まった部屋はツインルームだから、ツインの料金を払ってよ!」
…と、宿のおばちゃんに言われ、思わず「ハァ?」と言ってしまった僕。
確かに、部屋にはキレイなベッドが2つ並んでいて、
最初見た時は僕も「これってツインルームじゃないの?」と思ったさ。
けど、僕は前日にここに来た時に、
ドミトリーがあることをこのおばちゃんに確認した上で、「部屋を見せて」と頼んだのだ。
部屋を案内してくれたのは別の若い兄ちゃんだったが、
その彼にも、「この部屋がドミトリー?40ルピー(ドミトリーの1泊料金)でOKなの?」と念押し確認したのだ。
おばちゃんにその旨を主張し言い合った結果、
憮然とした表情で「もういいよ、40ルピーで!」ということにはなったが、後にこう付け加えられた。

「It's not my problem. Your problem!!」

…今回ばかりは、僕に問題があるとは思えないぞ?
あれだけ確認しても尚、こんなことを言われてしまったら、
それこそ約束内容を全部紙にでも書き残すしかない。
仕事でそういうことをしたことはあったけど…、
個人対個人のやり取りでそんなことはやりたくないよ。相手を信用したいのに…。

もしかしたら、部屋を案内してくれた若い兄ちゃんが、
個人的に気を利かせてツインの部屋をドミトリー料金で泊めてくれたのかもしれない。
おばちゃんと揉めている最中、横で気まずそうな顔をしていたから…。
だとしたら、おばちゃんにチェックアウトを頼んだ僕が失敗だったのかな。
しかし、この時まではおばちゃんも若い兄ちゃんもみんな愛想のいい宿だったのに、
最後の最後で、一番嫌なカタチ(=お金絡み)で揉めてしまい、本当に残念。
そういえば前にも、全く同じようなことがあったな…。(→ こちら を参照)

痛む頭をさらに痛くされ、重い足取りでジョムソンへと下っていった…。
(ちなみに、再びジョムソンまで下って来ると、高山病予備軍の頭痛はパッと治まった。)

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旅日記-ネパール | 20:15:01 | トラックバック(0) | コメント(2)
バス運最低、出会い運上々。
通路側に座った人は尻が半分飛び出す、横1列5人掛けの座席。
クッションは硬く、リクライニングなどもちろん無し。
半開きのまま閉まらない窓からは、意外に寒い北インドの夜風が吹き付ける。
この旅で乗った数あるバスの中でも、ワースト5に入りそうなオンボロバスだった。
しかも、それで12時間以上の夜行って…。(涙)

インドに入って以来、まともなバスに乗ってない!
初めにデリーからアムリトサルへ向かったツーリストバスでは、
リクライニングシートを指定して座席番号まで書かれたチケットを持っていたにも関わらず、
寝台シートに「2人ずつ」詰め込まれそうになった。
(要するに、リクライニングシートの数以上に客を取ったのだろう…。意地で席はもぎ取った。)
ダラムサラからデリーまでのバスでは、
夜中に後輪タイヤが外れかけるアクシデント(ヘタすりゃ事故だよ…)が発生し、
3時間立ち往生した挙句、結局代替のバスに乗り換えることに。

…ふぅ、まったく手強いぜ、インドってとこは。
だからって逃げ出すわけじゃないんだけど、ここで一旦インドを離れることにした。
(あくまで「一旦」ね。幸いインドビザは出入り自由のマルチプルなので、また後日戻ります。)

オンボロ夜行バスでやって来たのは、ネパール国境の町・ルペディア。
現在恐らく5ヶ所開いていると思われるインド-ネパール国境の中でも、
とりわけマイナーな場所と思われる。

当初の予定では、メジャーな国境の一つである、スノウリ国境を利用しようと思っていた。
が、どうも最近、この国境に関しての悪い情報が多い。
ツーリストを狙った強盗が多発しており、中には抵抗して銃で撃たれた人(日本人)もいるとか…。
主に狙われているのは、ネパール側からインド側に入る時らしいので、
逆方向の僕には問題無い話だったのかもしれないが、念のため、避けることにした次第。
(冒険好きなところがあるように見られるけど、本当はビビリ屋なんですから…。)

しかし、一方のルペディア国境は、マイナー故に情報がほとんど無いという不安があった。
手持ちのガイドブックに国境の越え方は簡単に記してあるものの、
ネットで調べても、「安全」とも「危険」とも情報が出て来ないし、
ネパールに行ったという旅人に出会うことは多くても、この国境を越えたという人はいなかった。

しかし、実際に行ってみれば、そんな不安は杞憂に終わった。
そこは強盗の「ご」の字も浮かばない、
田舎の1本の生活道路に作られた、超ローカル国境だった。
徒歩、自転車、リキシャー、馬車…、思い思いの手段で、地元の人々が続々と国境ゲートを越えて行く。
(インド人、ネパール人は、両国間をフリーパスで移動できるのだそうだ。)

そんな国境のイミグレーションオフィスは、
インド側、ネパール側共に、思わず「ごめんくださ~い!」と言ってしまいそうな、
粗末な一軒家のたたずまい。
ボロい看板が立っていなければ、それこそ見落としたまま密入国者になってしまいそうだった。
それでも、最後の懸案だったネパールのアライバルビザもちゃんと発給してくれて、
無事にネパールへ入国!やっほ~☆

…と浮かれていたら、なんとビザ代をボラれてたことが判明!
ビザシールを見たら「40$」ってちゃんと書いてあるのに、
係員の請求通りに、何の疑いも無く50$を払ってしもうた…。(気付いたのは1日後。手遅れ。)
まぁ、ほとんど外国人が通らない国境だし、
係員の兄ちゃんが金額を勘違いしたのだと思うことにしようか…。かなり苦しいけど。

さて、この国境越えの間、一緒に付いて来てくれていた男性が1人。
デリーからのバスで、狭い2人座席に共に揺られてきたギリさんは、
現在デリーにて貿易関係の仕事をしているネパール人。
その彼が、「今日泊まる場所を決めてないなら、ウチにおいでよ。」と誘ってくれた。
彼は既婚者で、今日は奥さんと子どもの待つ家に帰るのだと言う。
ネパール側の国境の町・ネパールガンジには特に目的も無かったし、
ここは一つお誘いに乗ってみることにした。

ネパールガンジからは、乗合ワゴンに乗って約2時間。
僕のガイドブックにはかろうじて地図に名前だけ載っているトゥリシプルという町で、
さらに乗合ジープに乗り換えて未舗装の道を数km。
名前も知らない(正確には、聞いたけど忘れた)村の集落でジープを降りた。
そこから丘の方へ歩くこと15分程、
田園に囲まれたギリさんの家に着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。

家には薄暗い裸電球がぶら下がっていたものの、
僕が着いて間も無く、あっけなく停電してしまった。
水は井戸から汲み上げ、火は竈で起こす、素朴な田舎の生活。
僕はジリさんと共にダルバート(ネパール式定食 = ご飯+豆スープ+おかず)を腹いっぱい頂き、
自家製(たぶん)の米の酒に酔うと、
その日は疲れもあって、2人してあっと言う間に寝てしまった。

翌朝、ギリさんの案内で村を軽く散歩させてもらった。
まるで異星人を見つけたような視線が、全ての村人からストレートに注がれる。
まぁ無理も無い。この数年でこの村を訪れた外国人がいったい何人いるだろう?
こんな機会でも無ければ、有り得ない場所に僕は来ているのだ。

ここで彼らとの関係を解すに当たって役立ってくれたのが、
笑顔と、「ナマステ」(挨拶)と、デジカメ。
特にデジカメは、こんな時こそ実に便利なコミュニケーションツールとして活躍してくれる。
一方的に撮るだけじゃなく、写真をその場で「一緒に見られる」こと。
この旅に出てつくづく思うけど、これがデジカメの最大の利点だよなぁ。

村の子どもたち。
どこぞの民家にて@名も知らない村
牛使いの少年@名も知らない村

子羊と一緒に。いい表情だ☆
子羊と一緒に@名も知らない村

器用な女性たち。
器用な女性たち@名も知らない村

お洗濯タイム。
お洗濯タイム@名も知らない村

おじいちゃんおばあちゃん。
おじいちゃんおばあちゃん@名も知らない村

母と娘。おめかし中。
母と娘@名も知らない村

父と娘。
父と娘@名も知らない村
右のお父さんが、お世話になったギリさん。

ギリさんファミリー。(奥さんの実家だったかな?)
ジリさんファミリー①@名も知らない村

ギリさんファミリーその2。(こちらがジリさんの実家だったかな?)
ジリさんファミリー②@名も知らない村

村の小学校にて。
わらわら大集合@名も知らない村
カメラを構えてたら、校庭中の子どもたちが全員駆け寄って来ちゃった。

12月の菜の花。
12月の菜の花@名も知らない村

乗せ過ぎじゃ!
乗せ過ぎ@名も知らない村
この屋根まで使う豪快な詰め込みっぷり、
僕はパキスタンで初体験し、インド、ネパールで再び出会ったわけだが、
今のところそれ以外の国では確認していない。
まぁ、国によっては間違いなく捕まるわな。

------------------------------

名も知らない村散歩の後は、再びトゥリシプルに戻ってから、
元々のネパール最初の目的地であるポカラへ。
他に選択肢が無かったので、夜行のローカルバスを利用することに。
車体はボロいけど、座席は標準的な横4人掛けで、
座り心地はフカフカ感があって上々、多少だけどリクライニングも付いてて、
これは前回のインドのバスより数段マシだ☆
と、思っていたのに…。

真夜中に、右後輪タイヤ(左右各2本ずつ付いているうちの1本)がバーストした。
半分寝てたからよくわからなかったが、恐らく1回は交換して走り続けたのだが、
そのスペアタイヤが再びバーストしたと思われる。
なんか、デジャヴを見ているような気が…。(→ こちら を参照)
その後は、1本がバーストしたまま走り続けたのかなぁ…?
朝に着いたナラヤンガートという交通の要衝の町で、タイヤ交換待ちに数時間。
その後も、遅れを取り戻すどころか、やたらと食事休憩を長く取ったバスは、
夕方にようやくポカラに到着したのだった。
予定の14時間を10時間オーバーし、トゥリシプルを出てから24時間が経っていた…。
僕の「バス運」が悪いのか!?それとも、ここではどのバスもこんなもんなのか!?

公共交通機関がアテにならんので、頼れるのは自分の足!
…ということで(?)、お次は念願だったヒマラヤ・トレッキングに行ってきます!
(一旦インドを抜けて来たのは、実はこのため。寒さが厳しくなる前にトレッキングに行きたかった。)
明後日から10日~2週間ほど山に篭る予定なので、
またしばらく連絡が途絶えますが、皆さま御機嫌よう~☆

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旅日記-ネパール | 16:45:58 | トラックバック(0) | コメント(5)
「ギラリ」と濃厚なStation
少し話は戻り、インドに到着した日のこと。

結局この日はバスでアムリトサルへ向かうことにしたわけだが、
その前に列車の方も当たってみようと、一度デリーのターミナル駅へと足を運んだ。

夕方前のニューデリー駅。
切符売り場も、ホームも、駅前の広場も、人・人・人…!
そのエネルギーの凄まじさは、何度も圧倒されてきた中国のそれを超えているように感じた。
そして印象的だったのは、1人1人の目。
バックパックを背負ったまま駅構内をウロつく僕には、
当然の如く、前から横から上から下から「ギラリ」と音のしそうな視線が注がれたのだが、
何千か何万かも数え切れない、その大量の目の1つ1つが、
それぞれ違う輝きを放っているように感じられたんだ。

あぁ、なるほど。
インドって国は一言ではまとめられない国なんだなと、初日にして感じた瞬間だった。
そして、この国を旅して行くことは、あの目の1つ1つと渡り合って行くことなんだなと、
僕の体力では負けちゃうかもな…と、1人苦笑いしたのだった。

ダラムサラからデリーに戻って来た後に、改めて街を歩いてみた。
予想外に建物は汚く道は砂埃まみれのコンノート・プレイス(首都デリーの中心の一つ)に呆れさせられ、
旧市街・オールドデリーの喧騒にも驚かされはしたが、
やっぱり僕にはニューデリー駅の印象が強くて、
用も無いのに出掛けてはプラットホームをぶらついていた。

自分の上半身より高さのある荷物を頭に積んで歩く、素晴らしいバランス感覚のおばちゃん。
その焦点はどこに…?ずーっとずーっと、遥か遠くを見つめ続けるお姉ちゃん。
目が合ってしまったので、そのままじっと見つめていたら、ニヤリと笑った少年。
…1人1人が濃い!
ここを見ているだけでも、この国にはワクワクさせられちゃうなぁ。

…ただ、写真は有りません。1枚も。
インドでは駅(列車?)の写真を撮るのが禁止されているって話を聞いていたのもあるけど、
なんだかどこをどう撮ったらいいのかわからなくて、
途中から開き直って、ここは写真抜きで歩くことに決めてしまった。
写真撮るのは好きだけど、たまにはカメラを忘れて歩くのも面白いかもね。

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旅日記-インド① | 15:55:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
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