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joplus

Author:joplus
「もっと世界を見てみたい!」
という単純な理由で、
世界経済危機をものともせず…
否、ただ歯止めがかけられず、
会社を辞めて旅に出た浅はかな男。

でも、いつ終わるかわからない人生、
やりたいことをやりたい時に、
楽しめるだけ楽しまないと♪
…と、勝手に開き直ってる若造です。

たくさんの「違い」に出会うため、
風と気の向くままに歩き回ります。
キーワードは、「自然体」。
できるだけナチュラルな心で、
「違い」で溢れた世界に浸って来たいと思います。

(画像 : photo by たびかめ氏)

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南国のチベット
デカン高原の最南部に位置する都市・マイソールに着いた日、
宿にチェックインしていたところ、
上階から日本人にも見える顔立ちの男性が1人降りてきた。
彼も僕に気付いたので、「Where are you from?」と話し掛けたところ、
「チベットだよ。」と、彼は答えた。

しばらく話を聞いてみると、
彼自身はインド生まれのインド育ちで、
両親が正真正銘のチベット人(つまり、過去に現中国領から亡命して来たのだろう)とのことだった。
それでも彼は、インドの公用語であるヒンドゥー語と、この地域の言語であるカンナダ語の他に、
英語も、そしてチベット語も話せるのだそうだ。

僕が中国のチベット圏を訪れたことを話したところ、「写真を見たい。」と言う。
早速彼にカメラの画像を見せていたところ、
宿の兄ちゃんがやって来て、「これはどこの写真?」と訊いてきた。
僕が「中国のチベットだよ。」と答えたら、
兄ちゃんは、「へ~、中国かぁ~。」と頷いた。
そこですかさずチベット人の彼が、
「『チベット』だよ!」と訂正したのが印象に残った。
インドに生まれ育った彼が、
自分はチベット人だと自己紹介し、チベット語も身に付け、
「チベット」に誇りを持っていることに、僕は好感を覚えた。

彼は僕の写真を気に入ってくれて、「データをくれないか?」と頼まれた。
しかし、彼はパソコンを持っているわけでもないし、
メールで送るには枚数が多過ぎるし、どうやって渡すかが問題だった。
すると、翌朝彼は、近くの知り合いの店でUSBメモリーを購入して帰って来た。
自分の写真ごときにわざわざお金まで使わせてしまったことに、僕は少し戸惑ったが、
彼曰く、「両親や友人にも見せて、喜ばせたいから」と。
彼にとって、僕の写真はそれだけの価値のあるものらしい。
こんな風に、自分の写真が人に喜ばれる日が来るとは思わなかったなぁ…。
僕からデータを受け取ると、彼はその朝のうちに宿を発って行った。

それからマイソールの町へ繰り出してぶらぶらしていると、
至るところでチベット僧が歩いているのに気付く。
事前に知らなければ驚いたと思うのだが、
実はここからバスで2~3時間程のところに、巨大なチベット人居留地があるのだ。
その存在は、マイソールへ来ようと決めた後に知った。
またしても何か不思議な偶然を感じざるを得なかったが、
ここまで来たら行ってみようと思っていた僕は、
その翌日、最寄りのターミナルとなるクシャルナガル行きのバスに乗り込んだ。

クシャルナガルに着いてから訊き回ったのだが、
居留地のあるバイラクッペは、さらに数km離れた場所にあるようだ。
ただ、イマイチ距離がハッキリしない。
2kmと言う人もいれば、8kmと言う人もいる。
「インドらしく、いい加減だなぁ…」と呆れていたのだが、
実は2kmも8kmも間違っていなかったことが後でわかった。
と言うのは、実はバイラクッペの町と言っても範囲は広く、
町の入口までは2kmほどの距離で、
チベット人居留地の中心までは、そこからさらに6km離れているのだった。

とりあえず、バイラクッペの町の入口となる道の分岐点まで歩いたところで、
向かいから来たチベット僧に道を訊ねていたら、
他のチベット僧が乗り込んだオートリクシャーを止めてくれて、
「一緒に乗って行きな!」と言ってくれた。
1人で乗ると高い上、場所や距離をはっきり知らないから値段交渉もしづらいので、
こうして乗り合いできたのは助かった…。
いきなり乗り合わせることになった僧侶達も実に親切で、
せっかくなので1泊して行こうと考えていた僕を、
ゲストハウスまで案内してくれた上、チェックインするまで付き合ってくれた。
ただ、誰も何も言わなかったし、特にチェックポイントも無かったが、
本当はパーミット(入域許可証 or 宿泊許可証?)が要るらしい?

居留地の中心である集落は、緩やかな丘の上にあった。
走るリクシャーから、草原の中に立派なゴンパが林立しているのを見た時は、
照り付ける南国の日差しを忘れ、「あぁ、チベットだ…。」と感じた。

セラ・ゴンパに並ぶ、立派なお堂。
南国のゴンパ?@バイラクッペ
南国のゴンパ?@バイラクッペ
南国のゴンパ?@バイラクッペ

絢爛の堂内。
絢爛の本堂@バイラクッペ

こちらは、ナムドルリン・ゴンパ。
ゴールデン・テンプル@バイラクッペ
セラ・ゴンパからは少し離れた場所にあるのだが、
「ゴールデン・テンプル」と呼ばれ、インド人観光客が多く訪れていた。
セラ・ゴンパと比べると俗化してしまった印象で、ちょっと落ち着かなかったかな。

いつもどこでも、青空に映える真っ白チョルテン。
南国の空とチョルテン群①@バイラクッペ
南国の空とチョルテン群@バイラクッペ

もうお馴染みの、マニ車回廊。
マニ車回廊@バイラクッペ

しかし、やっぱりここは南国…。
南国のチベット@バイラクッペ
ヤシの木とチベット僧の組合せは、実に新鮮。
あの世界でも最も過酷であろう高地で生活していた人々が、
この南の地を開拓することは、並大抵の苦労じゃなかっただろうと思う。
南インドの中では内陸で標高が高い場所のため、比較的空気は爽やかだが、
それでも日差しは強烈で、やはり南国そのものだった。

ゴンパの庭では、インドの国民的スポーツ・クリケットで遊ぶ少年僧達、
食堂では、チャパティーとカレーの食後に甘いチャイを啜る僧侶達。
いずれも違和感を覚えたと言うよりは、
この地に適応して生きざるを得なかった彼らの苦労を感じた。

朝、勤行へ向かう僧侶達。
勤行の朝@バイラクッペ

街角にて。
道端で読書@バイラクッペ
町をクリーンに@バイラクッペ

ファイティング小坊主。
ファイティング小坊主@バイラクッペ

ネパールのボダナートが最後になるかと思いきや(→ こちら を参照)、
もう一度だけこの旅でチベットに出会えて嬉しかった。
でも、今度こそは、本当にお別れだ!

南国の風にはためく、チベタン・フラッグ。
はためくチベタン・フラッグ?@バイラクッペ
はためくチベタン・フラッグ②@バイラクッペ

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旅日記-インド③ | 20:15:04 | トラックバック(0) | コメント(2)
裸の男が待っていた。
チェンナイやカーンチープラムのある東沿岸のタミルナードゥ州から、
内陸から西沿岸へと広がるカルナータカ州に入った。

まず驚いたのは、大きな町のターミナルでは、バスに時刻表があること。
そして、満員にならなくても定刻通りに発車してくれること。
「そんなの当たり前じゃん?」と思うなかれ。
今まで僕が見てきたインドのバスは、
いちおう定刻があったとしても、乗車率が最優先。
それこそ屋根にまで人が乗ることもあるほど、
とにかく詰め込めるだけ詰め込んでから走り出すイメージだったのだ…。

また、幹線道路の整備状況も素晴らしい。
バスは相変わらずオンボロだけど、
片側2車線でキレイに舗装された道のおかげで、
揺れは驚くほど少なくなったし、移動スピードも格段に上がった。
インドを代表する工業地帯であるためか、他の地域よりもお金が動かせているのかな。

バスだけでなく、列車の方でも予約窓口のシステムが優れている。
駅の窓口近くにはコンピューターが設置されていて、
列車のスケジュールの他、空席状況や当日の運行状況まで、随時自分で調べることができる。
また、マイソールという駅の予約窓口へ行ってみたところ、
順番待ちに整理券方式を採用していた。
日本の銀行などと同様で、番号の印刷された整理券を受け取り、順次音声アナウンスで呼ばれる仕組み。
これで、今まで見てきたような割り込みの嵐による切符売り場の大混雑は無くなった。
ただ、それでも整理券無しで窓口に突っ込もうとするインド人はいるのだが…。

中国の人達が列を守らないという話は有名になっているようだけど、
インド人の割り込みっぷりはその上を行っていると思う…。
一番笑えて呆れたのは、バスに乗っていた時のこと。
どこでも一度渋滞が起きると、待ち切れない車が必ず現れ、
対向車線をはみ出して前に出ようとし始める。
後続の車もそれに続き、いつしか1車線だったはずの道が2車線3車線と化す。
一方、対向車線の車も同じことをするので、
たとえ元々の渋滞の原因が事故で、それが片付いたとしても、
今度は両車線の車が向き合っている状態になっているので、ますます渋滞の解消が遅れる。
ある時は、事故などでなく、ただの踏切待ちでもそれが起こる…。
列車が通過する数分を待てない車が現れるために、自ら渋滞を引き起こすのだ。
またある時は、片側2車線道路の中央分離帯を越えて突破しようとしたら、
渋滞原因が解消された後に正面から車が押し寄せて、立ち往生。
飛び交うクラクション音と怒号。
けど、お互い簡単に譲らないから、一向に前へ進めない。
言っちゃ悪いが、実にアホらしい…。

それから、これはタミルナードゥ州でも感じたことなので、
南インド全般に言えるのかもしれないが、英語の通用度が上がった。
大きな町では、Yシャツ姿のビジネスマンを見かけることも多くなった。
バスで走っていると貧しい農村風景も見かけるが、
全体的には北インドよりも経済的に潤っているのは間違いなさそう。
ただ、物価については思ったほど変わらない。
同じ北側でもバラナシやコルカタに比べるとデリーの物価が若干高いのだが、それと同じぐらいだと思う。

さて、内陸に入って最初の目的地は、
南インドで最大と言われるジャイナ教の聖地・シュラヴァナベルゴラ。

…って、ジャイナ教って何じゃいな?(寒)
という人も多いと思うのだが、ハッキリ言って僕も全く知らなかったので、少し調べてみた。

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仏教とほぼ同時期に、共にヒンドゥー教に対する新興宗教として始まったが、
その後アジア全土に広がった仏教に対し、ジャイナ教はインド以外にはほとんど広まらなかった。
しかし、創造者である神が存在しないこと、
人生を苦であるとみなす考え方、
輪廻転生と、そこからの解脱を境地とする考え方など、
仏教の教義と共通する部分が非常に多い。
その特徴は、教義の中の「五戒」に表現されている。

一、生き物を殺すなかれ。
二、真実のことばを語れ。
三、盗むなかれ。
四、淫事をおこなうなかれ。
五、なにものも所有するなかれ

このうち、一の「無殺生」、五の「無所有」の考えが、
ジャイナ教の最大の特徴と言える。
「無殺生」ゆえ、動物も含めた生き物の命を大切にするジャイナ教徒は、
軍隊や漁業、狩猟の他、虫や微生物の命を奪う可能性がある農業に従事することもできなかった一方、
商業(中でも、宝石や貴金属を扱う仕事)に従事することが伝統的に多くなった。
その結果、今日ではインドの中でも最も裕福なコミュニティの1つとなっている。

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聖地シュラヴァナベルゴラは、通りを挟んで立つ2つの岩山からなる場所。
いずれも参拝に登ることが可能で、
僕はこのうち、西側のヴィンディヤギリという岩山に登った。

青空の丘へ。
青空の丘へ続く石段@シュラヴァナベルゴラ

丘の上から、町を望む。
丘の上の展望①@シュラヴァナベルゴラ

対面の岩山・チャンドラギリ中腹の寺院。
丘の上の展望②@シュラヴァナベルゴラ

この町は小さく、周りは森や平原に囲まれている。
だからか、最近訪れた場所の中では最も空気が良くて、
見ての通り空の色もスッキリで、やわらかい風が実に心地良い。
丘の上だから騒音も聞こえないし、静かで穏やかな雰囲気だ。
このような、ゆったりとその空気に触れられる「聖地」は、
それがどんな宗教であっても落ち着くなぁ。

そして頂上の寺院では、彼が待っていた。
すっぽんぽんで仁王立ち①@シュラヴァナベルゴラ
すっぽんぽんで仁王立ち②@シュラヴァナベルゴラ
大胆にもすっぽんぽんで仁王立ちする彼の名は、ゴーマテーシュワラ様。
ジャイナ教初代祖師の第2子で、
教義の1つである「無所有」を表すために裸でいるのだそうだ。
実際に、僕は拝見したことが無いが、
「空衣派」と言って、一切の衣類を身に着けずに修行に励む僧侶もいるらしい。

雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、
いつでも下界の人々を見守っているかのように、彼はここに立っている。
ヒンドゥー寺院の精巧な石像群もすごいなとは思うけど、
逆にこの像のシンプルさが、なぜか僕はすごく気に入った。
愛着を感じた、と言う方が正しいかな?
彼が神などではなく人だから、身近に感じたのかもしれない。

ちなみに、この像が建造されたのは、実に1,000年以上も前とのこと。
そんなに歳を重ねているのに、今もキレイなお肌のゴーマテーシュワラ様。うらやましい?

足先にお花を。
足にお花を@シュラヴァナベルゴラ

貴女にもお花を。
貴方にもお花を@シュラヴァナベルゴラ

その他、寺院内で見つけた像。
仏様に似た石像@シュラヴァナベルゴラ
ゴールデンミニ像@シュラヴァナベルゴラ
特に上の写真などは、見た目も仏様に近い。
こういうところも、親近感が湧いたのかな。
寺院も含め、このジャイナ教の聖地は全体にとても居心地が良く感じた。

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旅日記-インド③ | 19:30:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
28時間大南下
北から南へ、一気に下る。

バングラデシュからコルカタに戻り、
僕が予約していた急行列車は、23:45 コルカタ発、3:50 チェンナイ着の予定。
ただし、「3:50」の日付は、翌々日。つまり、約28時間の旅だ。
切符を見ると、総走行距離は1,662km。(インドの列車の切符には距離数が書かれている。)
この旅最長の陸路移動になると思うのだが、
あまりに長過ぎて、ピンと来ない。
日本で例えると、どこからどこまでの距離になるんだろう?

ちなみに、この1,662kmの乗車運賃はと言うと、
SLクラス(エアコン無し、3段ベッド寝台)で、461ルピー(=約950円)。
インドの物価は世界でもトップクラスに安いが、
中でも鉄道運賃は飛び抜けて安いと感じる。
短距離の普通列車ではさらに格安度がアップし、
ある日の切符を見ると、
走行距離121km、2等自由席で、19ルピー(=約40円)だった。

この安さの背景の1つには、乗車率の高さがあると思う。
2等自由席では、荷台の上まで人が乗っているなんてザラ(ちなみに、僕も経験者)だし、
乗車口から体半分外にはみ出しながら辛うじて手すりにしがみ付いている人も見かけたり。
(インドの列車は、扉を開けたまま走る!バスの屋根に人が乗ってる国だし、もう驚かないけど…。)

寝台車でも、昼間ふと気付くと明らかにベッドの数以上に人が乗っていたりする。
就寝時間間際に、よく車掌が来て整理しているのを見ると、
彼らは自由席切符で乗っている客なのか、あるいは無賃乗車も混じっているのか…。
しかし朝起きると、結局ベッドとベッドの間の床スペースで寝ている人がいたりする。

他の人のアドバイスを参考に、僕は3段ベッド寝台に乗る時は、上段のベッドを指定する。
理由は、下段のベッドは昼間は座席に、中段は同じく座席の背もたれになるのに対し、
上段ならいつでも好きな時に寝ていられること。
真夜中でも人の乗り降りはあるので、下段だと盗難のリスクも高い。
逆に上段の弱点は、下に降りないと窓が見えないこと。
終点まで乗る場合は問題無いのだが、途中下車の場合はこれが厄介。
と言うのも、インド(だけに限った話でもないが…)の列車は、
車内アナウンスなどという気の利いたものは存在しない。
いつ自分の降りる駅に着いたのは、停まった駅の表示を自分で見て確認するしかないのだ。

ただ、今回の移動はチェンナイが終点だったので、
僕はほぼ1日中上段の狭いスペースで1日を過ごした。
コルカタの歩き疲れでたっぷり眠りたかったし、未読の600ページの文庫本もあったし。
腹が減れば、ビルヤーニーやらサモサやらお菓子やらの売り子が頻繁にやって来るし、
喉が渇けば、チャイやジュースの売り子もやって来るし、
全く意味がわからないが、たまに南京錠やパスポートカバー(?)の売り子もやって来る。
28時間の旅も、案外快適であっと言う間なのであった。

しかし、予想外のことが起こった。
車内が騒がしくなってきたので目が覚めた。
間も無く列車がスピードを落とし始め、どうやら皆降りる準備を始めたらしいことがわかる。
時計を見ると、3時半前。

なんと、予定通り!…いや、予定より早いぞ!?

僕が3:50着などという半端な時間に着く列車を選んだのには意図があって…、
インドの列車が遅れないわけがないだろうと思っていたのだ。
良くても3~4時間遅れと見て…、ちょうど朝までゆっくり眠れるな、ふふふ。
…という完璧な計画だったはずなのに、どうして今日に限って!?

北インドで何度か利用した列車は、見事なまでに全て遅れた。
その遅延っぷりもハンパじゃなく、特にバラナシ発の列車はひどかった。
例えば僕が利用した列車で、バラナシ発車が4時間遅れ、到着(コルカタ)が6時間遅れ。
別の日にバラナシからデリーへ向かった方は、10時間遅れだったとのこと…。

遅れそのものもひどいが、その対応もしょーもなかったりする。
バラナシ駅の正面入口から入ると、2枚の電光ボードが並んでいる。
いずれも、列車の到着予定時間と到着プラットホーム番号を知らせるものなのだが、
まず、左と右のボードで出ている内容が違う!時間もホーム番号もバラバラじゃん!
さらに、いちおう遅延後の到着予定時間がここで見られたとしても、
数分後に見るとまた時間が変わっていたり、時間を過ぎてもまだ列車は来なかったり…。
終いには、僕の乗る列車の到着プラットホーム番号が「0(ゼロ)」と表示された。
もちろん、「0番ホーム」なんてものは無い。
もはや「いつどこに着くやらわかりませ~ん。お手上げで~す、てへっ☆」ってことか?

結局頼りになるのは、列車到着10分前に流れるアナウンスのみ。
それまでは、自分の列車がどのホームに入って来るのかわからない。
結果、ボードのある入口広場はアナウンスを待つ乗客達で溢れ返るばかり。
情報を求める人々が押し寄せる案内所は、常にピリピリモード。

…僕は日本のJRは何かと対応が悪い気がして好きじゃなかったけど、これで少しは見直したよ。
反面、1分1秒まで正確に動かそうとする日本のシステム(これは鉄道に限らず)が、
逆にクレイジーなものに思えてきたりもする。
もう何年も経つけど、そんなことを考えさせられる事故もあったよね。
あの福知山線のような事故は、インドでは起こり得ないだろう。
(インドの場合、もっと単純な要因での事故が多いのが問題だけど…)

話まで少々脱線してしまったが、
僕を乗せた列車は無事に、まだ明け方前のチェンナイ駅へと到着した。
インド四大都市の1つであるチェンナイ(他は、デリー、コルカタ、西インドのムンバイ)は、
南インドの東海岸沿いに位置する。
ここから2週間強で南インドを周遊するのだが、
見どころの多さを考えると、少々強行スケジュールなのかもしれない。

実は、元々の予定では、インドは定番な観光地の多い北だけを回るつもりだった。
しかし、インドを旅した人の話を聞いていると、
多くの人が「北と南では全然違う」と言い、
そして大概は南の方が「人の良さ」などを理由に評判が良かった。
僕自身も、北側だけを見てインドについてどうこう言うのも違う気がしていたし、
「ふ~ん、そこまで言うなら確かめに行ってみようかな」(←偉そう)と、
例によって例のごとく、またしても気紛れルート変更を決行したわけである。

さて、せっかく着いたばかりではあるが、時間も限られているので、
特に興味の湧かなかった大都市チェンナイの観光は端折らせてもらった。
朝を待った後、短距離郊外列車の発着する駅へ移動し、さらに約2時間。
カーンチープラムの町へやって来た。
ここは、あのバラナシを含むヒンドゥー教7大聖地の1つとされる。
ということで、ここでの目的は歴史あるヒンドゥー寺院の見学。

8世紀建造のカイラーサナータ寺院。
カイラーサナータ寺院@カーンチープラム

石の彫刻が並ぶ。
石像の整列@カーンチープラム

こんな鳥が見守っていた。
寺院の南国バード@カーンチープラム

エーカンバラナータル寺院のゴープラム(塔門)。
巨大ゴールデンゴープラム①@カーンチープラム
巨大ゴールデンゴープラム②@カーンチープラム
南インドのヒンドゥー寺院では、このような立派なゴープラムが多く見られるようだ。
北インドやネパールでは全く見かけなかったもの。

光差す回廊。
光差す回廊@カーンチープラム

照らし出される神様。
照らされる神様@カーンチープラム

神々の楽園。
神々の楽園@カーンチープラム

感想は…、う~む。「おぉ~!」と「へぇ~」の中間ぐらいかな。(なんのこっちゃ…)
規模は壮大だし、彫刻の精巧さも凄いと思うんだけど、
何かピンと来ないと言うか、落ち着かないと言うか…。
まだこの先でも何ヶ所かヒンドゥー寺院を訪れる予定なので、
ここと同じような雰囲気なのか、また違った空気を感じるのか、様子を見てみたいと思う。

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旅日記-インド③ | 19:10:32 | トラックバック(0) | コメント(0)

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