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joplus

Author:joplus
「もっと世界を見てみたい!」
という単純な理由で、
世界経済危機をものともせず…
否、ただ歯止めがかけられず、
会社を辞めて旅に出た浅はかな男。

でも、いつ終わるかわからない人生、
やりたいことをやりたい時に、
楽しめるだけ楽しまないと♪
…と、勝手に開き直ってる若造です。

たくさんの「違い」に出会うため、
風と気の向くままに歩き回ります。
キーワードは、「自然体」。
できるだけナチュラルな心で、
「違い」で溢れた世界に浸って来たいと思います。

(画像 : photo by たびかめ氏)

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再び、旅立ちの前に…
中国・四川省の理塘(リタン)の僧院(ゴンパ)を歩いていた時のこと、
同じく観光に来ていた、スイス人の老夫婦に出会った。

歳は訊かなかったが、2人共60代ぐらいだったろうか?
彼らの旅の移動手段が自転車だったことに驚いた。
理塘が位置しているのは、四川省の西部にある高原地帯。
町の平均海抜でも約4,000m!当然空気は薄い。
そんな場所を自転車で旅するなんて、僕でもできるかどうか…。

その時は中国の旅の途中であったこの老夫婦だが、
話を聞くと、中国の前は日本を旅したのだと言う。
九州・沖縄から北海道まで、ほぼ全国くまなく回ったらしい。
それももちろん、自転車で。

この老夫婦は特にツワモノだけど、
ヨーロッパの人達を見ていると、このようにアクティブな老後を送る人が多いように思う。
彼らの祖国であるスイスを訪れた時にも感じたことだが、
僕も彼らのように歳を取りたいと、本気で思っている。

ただ、僕はこの老夫婦を尊敬の眼差しで見ていた一方で、悔しさも感じていた。
彼らは、日本の、僕の訪れたことの無い場所もいっぱい見て来たんだ。
日本人なのに、負けている…。そんな風に思った。

またある時、ドミトリーで同室になったアメリカ人の若者が、
別の若者(国籍不明)と、オーストラリアの大自然の話で盛り上がっていた。
彼の見たオーストラリアは、そりゃあもうアメージングな世界だったそうで、
特に大平原の真ん中で眺めた星空が忘れられない思い出になったらしい。
元々僕も行ってみたい国だったこともあり、
興奮気味に話す彼を、僕は少し羨む気持ちで眺めていた。

と、突然アメリカ人の彼が僕の方をチラッと見て、言った。
「日本では、どこで星を眺めるんだい?あんなに小さい国で。」

…と直訳すると思いっきり嫌味なセリフに聞こえるけど、
彼の話し振り自体には、そういう印象は感じられなかった。
たぶん彼は、本気でそういう疑問をふと浮かべたのかもしれない。
僕にとっては、それが逆に悔しかった。

世界の旅を始める前の日記にも書いてあるが、
1年前の時点でも、「次は日本を旅したいな」という思いはあった。
この1年間世界を歩く中で、その思いはより強まる一方だったのだが、
特に、このスイス人老夫婦とアメリカ人の若者とのエピソードが、
思いを強める大きな要因となっている。
彼らに対して、日本を自慢できるようになりたい。
また、日本について多くを知らない人たちに対して、
自信を持って日本を紹介できるようになりたい。

上の話は「日本人として、日本を知りたい」ということになるが、
一方で、「(ナニ人でもない)1人の旅人として、日本を見たい」という思いもある。
どちらかと言えば、こっちの方が「今やるべき!」と思う理由かもしれない。
そういう目線で歩くことができるのは、
他の国々を歩いてきて間もない今のうちしかないだろうから。

旅の途中に出会ったある日本人の青年に、
「1年の世界の旅を終えたら、日本を旅したいと思っている」と話したことがある。
その時の彼は、期限の無い世界一周旅の、まだ前半戦にいた。
僕の話を聞いた彼は、「日本の旅なんていつでもできるじゃん」と言った。
そして、「その時間があるなら、もっと他の国に行けばいいのに」と続けた。

たぶん、彼の価値観の中では、それが正しいのだろう。
けど、僕の場合は違う。
今、これ以上色んな国を歩き続けるよりも、
日本の方がずっとずっと得られるものが有るだろうと、ほぼ確信している。

今思えば、あの彼には不安もあったんじゃないかなぁ?
世界の旅を続けることこそ正しい選択なんだということを、
僕の意見を否定しながら、彼自身に言い聞かせているような気もしたんだよな。
どんな道の先にも、きっと得られるものはあるだろうけど、
「本当にそうだろうか?」という不安が彼の中にあって、
その不安を打ち消し、今選んだ道の正しさを信じようというという思いが、
彼の発言の裏にはあったような気がする。
…思いっきり、勝手な推測だけど。(笑)

そんなワケで、僕はもう一度旅の生活に戻ることにする。
ところで、日本で行ったことの無い場所ってどこがあったかな?と、
試しに県名を書き出してみたところ、意外とたくさんあることに気付く…。

・沖縄県
・鹿児島県
・高知県
・佐賀県
・島根県
・長崎県
・福岡県
・宮崎県
・和歌山県

さらに、ほんの少し立ち寄ったことがあるだけで、ほぼ未踏に等しい県も幾つか…。

・石川県
・岩手県
・愛媛県
・香川県
・徳島県
・三重県

どうしても関西以西に県名が集中してしまっているのは、
ずーっと関東に住んでいた以上、仕方が無いかな。
しかし、地図を広げてみると、意外と日本も広い!
今回の旅だけで、これら未踏の(及びそれに等しい)県を全て無くすのは難しいだろうな…。

1年前に決めていた期限は、「2010年10月まで」。
今もそれ以上延ばす気は無いけれど、フルに使うかどうかはわからない。
と言うのも、僕だって不安や焦りを感じることもあるから。
帰国してからこの2週間ほどで、多くの友人達と再会したが、
日本で成長し続けている彼らを見ていたら、
「いつまでも遊んでられないよな…」と感じるのが自然でしょう。

海外を歩いている間に、自分のやりたいことについて、漠然とイメージを膨らませてはいた。
今度は日本各地を歩きながら、それをもっと具体的にしていかなきゃね。
あわよくば、旅の途中で仕事まで見つけられたら…なんて考えも無くはないけど、
このご時世でそんなオイシイ話も無いだろうと思うので、
まずは自分の頭の中をしっかり固めることに集中することにしよう。

1年前の旅の出発時に比べると、妙なプレッシャーを背負っての旅立ちになるけれど、
きっとまた、色んな出会いの中で、考えが変わることもあるでしょう。
今ここでモヤモヤ考えてばかりでも仕方ないんで、とりあえず行ってきます!

スタートは、沖縄県・石垣島から。
新たな旅のお供に「テント」を加え、明日羽田より飛び立ちます☆

---------------------------------

本当は、このブログは海外の旅からの帰国と共に終了するつもりでした。
しかし、何人かの方に「次は日本の旅に…」という話を伝えたところ、
「それじゃ、またブログを楽しみにしています☆」なんてコメントを頂いてしまい、
これは継続するっきゃないか…と。
「僕の友達にも(このブログを)紹介しちゃったよ~」なんて話も聞いて、
改めて、僕の想像以上にたくさんの人に応援して頂いていたことに気付かされました。

ただ、日本で旅先から定期的にブログ更新するのって、
ひょっとしたら海外より大変なんじゃないか…?という気もしています。
ネット屋は高そうだし、無線LANがどのぐらい拾えるのかも知らないし…。
なので、今まで以上に不定期の更新になるかもしれませんが、そこはご了承下さい。

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旅前日記② | 12:20:28 | トラックバック(0) | コメント(2)
よくある質問への回答②
「旅に出て、何か変わった?」

変わったこともあれば、変わらないこともある。

わかりやすいところから例を挙げると、新聞やニュースの見方が大きく変わった。
特に海外ニュースにはじっくり目を通してしまう。
だって、もう他人事じゃないんだもんな…。
「タイで大規模デモ」なんて聞いたら、
「あの人はどうしてるだろう…?」と浮かぶ顔があるのだから。
訪れた国のことは、純粋にもっともっと知りたい。
そして、今後を見守って行きたいとも思う。

海外ニュース以外にも、関心のある分野が増えた。
ぶらっと散歩している時に、ふらっとお寺に入ってしまうなんて、
旅の前では考えられなかったこと。
宗教、歴史、文化、そして人…、
それらが強く強く結びついていることを、
実際に触れることでようやく実感することができた。
そして、これからも触れていきたいと思っている。
これは、旅で得た大きな収穫の1つ。

いきなりマニ車。
近所のマニ車①@山口観音

実は、日本で見つけちゃったんだな。
近所のマニ車②@山口観音
東京と埼玉の県境にあるお寺で、実家から自転車で20分ほど。
こんな地元にこんな場所があって、
そのことを喜ぶ日が来るなんて、もちろん思ってもみなかったよ。

それから、旅の過程で自分の持っていた数々の常識を「壊された」おかげもあり、
日本における日常で起きる様々なことに対して、
感謝したり、逆に疑問を持ったりするようになった。
町のトイレから政治のことまで、これは例を挙げ出すとキリが無い。
今はまだ、日本という1つの国を旅している感覚なんだよね。
この感覚は、いずれ日常生活に戻っていくと共に失われてしまうのでしょう。
その時が、再び海外へ向かう1つのタイミングなのかもね。
(もう、今回のような長旅にはならないだろうけど…)

このように、興味や考え方は、確かに旅をする前とではずいぶん変わった。
けど、そのベースになっている自分自身の根っこの部分は、
恐らく何も変わっていないんだろうなぁと思う。
興味や考え方がこういう方向に向かうのもまた、自分らしい一面だと思ってる。
そもそも、僕は自分の根っこまで引き抜こうと思って旅をしたわけじゃないから、
当然と言えば当然なんだけどね。
長所もあれば短所もあるけど、27年間育ててきたこの根っことは、
これからもうまく付き合っていけたらと思ってる。
より強く、より太く、愛着を持って育てていきたいな。

でも、一番変わったことと言えば…、
旅をしなきゃ出会えなかった人に出会えたことかな。
興味や考え方の幅を広げるにしたって、
根っこを育てていくにしたって、
人から得られるモノが一番大きいことは間違いない。
今後とも、よろしくお付き合い下さいませ。

------------------------------

一部の人には既に連絡しましたが、
現代文化の象徴である携帯電話を購入しちゃいました。

たまには連絡取りましょ~と言ってくれる優しい方は、
下記アドレスまでメールを送りつけてやって下さい。
(番号はここに書きたくないので、メールにて連絡します。)

kaze_no_mukumama.joplus@イージーウェブ.エヌイー.ジェーピー

なお、確認する頻度は少々下がるかと思いますが、
今まで通りHotmailも使いますので、今後はお好きな方に連絡下さい!

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旅後日記① | 10:45:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
よくある質問への回答①
あっと言う間に、帰国してから10日も経ってしまった。
海の向こうにいた時と比べて、
時間の流れがまるで違って感じるのは、どうしてだろう?

さて、旅の総括をするって話だったのだけど、
大まかな感想は、前回及びホーチミンでの日記で既にまとめてしまってるんだな。
その中で報告した通り、旅全体を通しては満足感を得ているわけなのだが…、

「行って良かったというのはわかったけど、じゃあ一番良かったのはどこ?」

…と、この質問が次にやって来るのよね。

しかし、簡単なようで、これほど答えに窮する問いも無い。
だって、どの国にも思い出があるから、簡単に一番なんて選べない。
今回訪れた全ての国は、できることならもう一度行きたいと思ってる。

でも、部門別だったら答えられることもある。
例えば、「一番感激した風景は?」とか。

ちなみにこの回答は、やっぱりスイス・アルプス!
あの滞在2週間は、本当に心が躍りっぱなしだったからね~。
僕が理想に描いていた風景がそのまま現れちゃったんだから、感服ですわ。

次点で、モロッコのサハラ砂漠を挙げたい。
ポイントは、虹ね。あんな奇跡に出会えることが、またあるだろうか…?

もう1つ、中国四川省・色達のラルン・ガル・ゴンパ。
丘を埋め尽くす僧坊群が眼前に広がった時の興奮は、未だ忘れられず。

「一番食べ物が美味しかった国は?」

この1年間で、「マズい!」と感じたことってあったかなぁ?
…と思うほど美味いものに恵まれたので、これも回答が難しい。
しかし、味、量、値段、そしてバリエーションの豊富さ、
これらの食の楽しみを全て総合して選ぶなら、やっぱり中国だね。
ただし中国の場合、地域によっては油や辛味の量がハンパ無いので、
健康まで考えて選ぶなら、ベトナム(特に南部)とカンボジアかなぁ。
魚も食べられて、味付けさっぱり。そして、主食が米ということ。
僕にとってはこれが重要なので、どうしてもアジアのメシを好んでしまうのね。

「一番お酒が美味しかった国は?」

そりゃもう、ビール天国のチェコと、ワイン天国のフランス!
…と言いたいところだけど、ここはスペインに1票。
これは前にも書いたと思うけど、Barの雰囲気の勝利。

それともう1つ、カンボジアを加えたい。
ただし、シェムリアップの1軒のお店限定で。(笑)
スタッフも含めた店の心地良さと、そこに集まった飲みメンバーの楽しさの勝利。

お酒の味は、ツマミで変わる。
気候、町の雰囲気、人…、
このような飲む時の環境も、大事な「ツマミ」の1つ。

「一番しんどかった国は?」

ありきたりだけど、やっぱりインドなんだろうな…。
汚さとか、移動の大変さとか、そういうしんどさも確かにあるけれど、
それ以上に、頭が重くてしんどかった。
あそこにいると、自然と考えたいことが山積みになってしまう。

それともう1つ、意外なところでキルギスとか。
情報少ない、英語通じない、交通が未発達、
もし旅の初めに行ってたら、無事に抜けられたかな…と思う。
でも実際は、観光業が未開発の国ほど、地元の人々が優しく手助けをしてくれるもの。
キルギスも、そんな国の1つ。
だから、本当はしんどさを感じたことなんて無くて、
むしろ「自分だけの旅」ができる面白さがある!

「一番リピートしたい国は?」

行けるもんなら全部の国にまた行きたいと思うけれど、
その中でも、今すぐにでもまた行けるとしたら、ラオスを選ぶかな。
本当に不思議な魅力で溢れてる国で、とにかく居心地が良いと感じる。
一方で、近隣諸国の影響を受けて、数年先に大きく変わってしまう可能性も高い。
それもまた受け止めなければならないことなのだろうけど、
やっぱり今の良さがやがて失われていってしまうのかと思うと寂しい。
そのことも、早いうちにもう一度…と願ってしまう理由の一つかな。

…と、キリが無くなるので、この辺で。
他にも、「一番○○だったのは?」系の質問があれば受け付けますよ~☆

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旅後日記① | 10:30:35 | トラックバック(0) | コメント(3)
終わりと始まり
Yokoso!Japan
Yokoso!Japan
帰って来たはずなのに、まだ中国語…。まぁいいか。

この「Yokoso!Japan」の広告、
今まで日本に帰国する度に目にしてきたけれど、
今回はちょっと違った思いでこれを眺めていた。

旅の中で、「Welcome!」と声を掛けてくれる人に、たくさん出会った。
その言葉を口に出さなくとも、
彼らが生きる世界の中に、温かく迎え入れてくれる人もいっぱいいた。
僕は何ができるわけでもない、ただの訪問者だった。
それでも、彼らは本当に嬉しそうに招いてくれているように見えた。
自分の国を訪れてくれる人がいる…、それを純粋に喜び、迎える。
その心を、僕は彼らから教わったと思っているのだけど、
よく考えたら、本来は日本こそ「もてなし」の心を持った国じゃなかったか…?

僕にとっては、今は壁に貼られているだけに思えてしまうあの言葉。
「ようこそ」でも「Welcome」でも「欢迎」でもいい、
日本もまた、それらの言葉を心から人に捧げることができる国であったら、
訪れた外国の人々が温かさを感じてくれる国であったら、僕は嬉しいなぁ。
今の僕にできることなんて小さなことしか無いけれど、
せめて遠く海を越えて来た旅人に町で出会った時には、
最低でも「Hello!」の一声を掛けるぐらいの気持ちは持っていたいと思う。

3月9日から10日へと日付が変わろうとする頃、
季節外れのみぞれの降る寒さに耐えながら、僕は東京郊外の実家に帰り着いた。
この1年365日+7日に及ぶ世界の旅は、ここに確かに終わりを迎えた。
しかし、ここ1週間ほどすごく帰国の日を心待ちにしていた割には、
旅が終わることへの感慨はそれ程でも無かった。
一方で、この時逆に感じていたのは、「再び、始まる。」という感覚。

空港から実家のある町まで向かう列車の中で、
まるでまだ旅が続いているかのように、
母国であるはずの日本を、外からの目線で眺めている自分がいた。
これはいずれ、日が過ぎる程に鈍っていってしまうのだろうけど…、
少なくとも今は、日本という国を旅人の目で見ることができる。
良くも悪くも、日本の独特な部分がいっぱい見えてくる…。

しかし、日本人として生まれた僕は、この国で生きて行く。
今のところそれだけは決めているけれど、
どうやって、どんな風にこの中を歩いて行こうか…、
ハッキリ言って具体的なことは何も決まっていない。
ただ、ずーっと先の目標地点(恐らく、これから数十年をかけて向かうことになる…?)は、
この旅を通じて、ようやくおぼろげながら見えてきている。
これから僕は、手探りでそれを目指して行くことになる。

それは、「壩美」という地名だけを頼りに歩いていた、あの時に似ているように思う。
同じような体験はこの1年ちょっとの間に何度かあったけれど、
いつも、結果的に最後にはなんとかなっていたハズ。
時に遠回りをすることもあるし、楽なことばかりじゃないのだが、
なんとかして前に進もうとしていれば、必ず道は見えて来るものだった。
そして、決まってそんな時こそ、面白さを感じていることが多かった。

世界から日本へと舞台は変わるけれど…、
そう、1つの旅の終わりと同時に、また新しい旅が始まった。
実際のところこの先どうなるかはさっぱりわからんし、
それはもちろん不安もあるけど、やっぱりワクワクの方が大きいなぁ。

風の向くまま、また流されながら歩いてみようじゃない。
「轍なき散歩道」は、まだまだ続いていく…!

雲の上を行く翼。(香港~上海間上空)
雲海フライト

---------------------------------

…はい、と言うわけで、帰って参りました。
帰国報告が少々遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

終盤になって「ボコボコ事件」なんてのもありましたが、
結局、旅の中で一度も病院の世話になることもなく、
警察沙汰の事件に巻き込まれることもなく、日本に再び降り立つことができました。
これで、旅立ち前に唯一目標として掲げた「無事に帰って来ること」については、
達成できたと言って良いだろうと思っています。

また、ベトナムのホーチミンでの日記にも書いた通りで、
自分がこの旅でやるべきことはやったという実感もあり、
旅の満足度は120%と言っても良いかなと思っています。

ただ、今回の旅をこういう結果に終えられたことについて、
僕自身の力が果たした割合なんて、せいぜい1割にも満たないでしょう。
残り9割強の力は、全て周りの人々から頂きました。
何の生きる術も持たない僕なんかが、1人で旅なんか続けられるワケがない。
とてもカウントできない程の人々に助けられて、僕は今ここに居られるんですよね。
その感謝の気持ちを、これから僕はどうやって返して行こうか…?
そんなことも、考えて行きたいと思っています。

日本から、中国から、あるいは旅先のどこかの国から、
見守り、応援してくれていた皆さん、本当に本当にありがとうございました!
僕の中では、みんなにまた会いたいという思いがとても大きな支えになり、
「絶対に無事で帰る!」という強い気持ちを、最後まで持ち続けることができました。

また時間を見つけて、旅で感じたことなど全体の総括をしようかなと思います。
良かったら、もう少しだけこのブログにお付き合い頂けたら幸いです。

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旅後日記① | 00:25:35 | トラックバック(0) | コメント(8)
旅のゴールポイントへ…
広東省の省都・広州を経由し、
現在は中国の特別行政区となっている大都市・香港へと入った。
ここが、1年に渡るこの旅の最終地点に選んだ町だ。

この場所を「中国」のカテゴリに入れるかどうか迷ったのだが…、
このブログ上では分けて扱うことにした。
パスポートにスタンプを押されて「入国」した場所だということもあるが、
何より、町を歩いていて受けた印象が、「中国とは似て非なるもの」だったから。

通貨が人民元から香港ドルに変わったり、
文字が簡体字から繁体字に変わったりといった違いもあるけれど、
中国の他の都市と比べて最も大きく変わったように感じる点は、
香港の町は全体に洗練されているということ。
店の造り、並んでいる商品、食べ物、街行く人々のファッション、
イルミネーション、公衆トイレ、市内バス、交通マナー…、
あらゆる面において、ワンレベル上にあるように思えた。

いつも通り庶民向けの食堂で楽しんだ食事も、
同じ中国料理ながらどこかレベルの高さを感じさせられた。

まずは麺から。
3品煮込み載せ麺@香港
この店では注文時に、麺の種類と、好きな煮物の具を3種類選ぶ。
僕は平たい小麦の乾麺に、鶏の手羽先と、モツと、油揚げを指定。
しかし、ここで特筆すべきはスープだった。
ダシの取り方が丁寧なのか、中国で食べていたものとはコクが全然違う。
そんなところに、「洗練」を感じるのであった。

とろとろスープ。
とろとろスープ@香港
甘じょっぱくとろっとしたスープは、まさに広東とか香港のイメージ。
具は鶏のささ身に、木耳と卵。
フカヒレも入ってそうだけど、入ってません!

魚旦面(ユィダンミェン)。
魚旦面@広州
実は、これは広州で食べたものなんだけど…、オマケで紹介。
広東省の潮州という町の名物麺料理のようで、
広東料理のアイテムの1つである干物をダシに使っているらしく、
まるで日本の塩ラーメンのようなスープ。
具の魚の練り物も特徴的で、かまぼこを思い出す…。
また、好みで味を足す用にテーブルに置いてあった醤油が、
これまた日本と同じ豆の醤油だったのも印象的だった。
中国の他の地域では、魚醤が一般的なので。

かき揚げ。
牡蠣揚げ@香港
料理名は忘れたけど、「牡蠣揚げ」です。
サクッと一口かじると、小粒の牡蠣がゴロゴロ飛び出して来る。

梅菜肉餅煲(メイツァイロウビンバオ)。
梅菜肉餅煲@香港
以前どこかで紹介した「砂鍋飯」と似たようなもの。
茹で上げた肉のミンチが食欲をそそる。
肉の下には梅菜(高菜のようなもの)が隠れていて、これまたご飯に合うのだ。

点心盛り合わせ。
ほかほか点心@香港
香港と言えば、これをイメージする人も多いのでは?
ちなみに、これは店頭で売っているのを撮らせてもらっただけで、
これを全部食ったわけじゃございません。念のため。

チキン&チャーシュー屋。
チキン&チャーシュー屋@香港
ここは量り売りでテイクアウトする店だったけど、
その場でぶっかけ飯にして食べさせてくれるところもあるよ。

麻芝花生糊(左)と、湯丸(右)。デザートもレベルが高いぞ!
至福の甘味@香港
左は、黒ゴマ(麻芝)味とピーナッツ(花生)味の、
その字の通り糊のようにドロッとしたスープらしきもの。
甘さは控えめで重たくないので、食後に無性に欲しくなる一品。

右は、以前成都の食べ歩き日記で紹介した湯?(タンユェン)と同じ、
黒ゴマペースト入りの白玉団子なのだが、
この店では生姜のスープで煮込んであるのがポイント。
小雨がパラ付き肌寒かった香港の夜に、体を温めてくれた。

僕の中のイメージの香港。
長年のイメージ@香港
昔から、香港と言えばこんな風景を思い浮かべてた。
バンコクやクアラ・ルンプールなど、東南アジアの都市で見かけた中華街は、
香港の下町をモチーフにして造られているのかな?と思うほど、雰囲気がよく似ていた。

最後に、僕はもう一度1人旅に戻った。
ベトナム北部からずっと一緒に旅を続けてきたAさんは、
僕の帰国前日に、一足早く日本への帰路に着いたのだった。

今日もまた夜の街のネオンが輝き出した頃、コンビニで缶ビールを買った僕は、
九龍と香港島とを結ぶフェリーが発着する埠頭の方へと向かった。
そして、この旅の最後に見たかった風景を前に、乾杯!

ゴールポイント、100万ドルの夜景。
100万ドルの夜景?@香港
100万ドルの夜景?@香港

洗練された町の中心を歩いていると、
薄汚れた服とバッグにサンダル履きという自分はあまりにも場違いで、
なんだか惨めな存在にすら思えて来ることもあったけれど、
それでも…、僕はこの場所をゴール地点に選んで良かった。
この夜景を見ていたら、そう思うことができた。

フェリーの行き交う海の向こうに対岸を眺めていたら、
旅のスタートポイントだったイスタンブールを思い出した。
あそこでも、夕暮れにガラタ橋の脇からぼんやりと対岸を眺めてたっけ。

あれから1年、長かったなぁ…。
自分が今この場所に立っていることが、とてもすごいことのように思える。
僕がここまでやって来るために、いったいどれだけの力を借りてきただろう?
たくさんの国のたくさんの人が、僕を少しずつ少しずつ、この地へと導いてくれた。
そのことが、なんだか1つの奇跡のように感じたのだった。

…さて、この日記を書いているところで日付も変わった。
香港の夜景をゴールポイントと書いたけれど、
本当の旅のゴールポイントは、もう少しだけ先にある。
無事にそこへ辿り着き、今日が旅の最終日となりますように。

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旅日記-香港 | 01:20:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
むざむざ、「無座」
Aさんにとっては、中国を旅するのは今回が初めてだった。
そこで、ちょうど次の目的地までのルート上ということもあり、
中国を代表する名景の1つである、桂林を目指すことにした。

羅平(雲南省)から直通で桂林(広西チワン族自治州)に行く手段は、1日1本の列車のみ。
これがあえなく満席で使えなかったため、
バスを乗り継いで、まずはお隣貴州省の州都・貴陽へと向かった。

しかしこの貴州省、なぜかバス代が他の州に比べて異常に高い!?
貴陽から桂林までは予想通り直通寝台バスが出ていたのだが、
うまく探せば航空券と変わらないじゃないか?と思うほど、その値段は高額であった…。

それもバカらしいということで、改めて列車を探してみることにした。
貴陽は巨大なターミナル駅なので、
桂林方面への列車の本数も増えているだろうと予想していた。
早速駅で確認してみたところ、直通で桂林まで行く列車は少なかったが、
手前の柳州という駅まで行く列車は1日に10本前後出ているようだった。
列車によって多少の差はあれど、
その硬座(2等座席)の値段は、なんとバスの4分の1以下…。
これはもう、何がなんでも列車に乗るしかない!

切符売り場の窓口で、「次の柳州までの列車を、硬座で2枚」頼んだところ、
翌早朝発の列車の切符が買えるらしい。
ただし、その切符は「無座」だった…。
列車によって、硬座が売り切れた(中国では全席指定が基本)後に売り出される、
その名の通り席が設定されておらず、
「席以外の場所に勝手に乗りなさい」切符である。

2年前、僕は一度「無座」を体験したことがある。
その時は、夜中の23時頃から翌朝まで約8時間の乗車だったが、
もうもうと煙の立ち込める喫煙スペースの脇に腰を下ろし、
硬い床からお尻に伝わる冷たさとすきま風に耐えながら、
ほぼ一睡もできず朝を待ったのだった…。

当時は今のような長旅を経験したことが無い身だったが、
今思い出しても、あれはキツかった…。
またあれに耐えるだけでもしんどいのに、
この日は羅平から3本もの長距離バスを移動してきており、
この切符売り場に立っている時点で、時刻は既に22時過ぎ。
そして、「無座」列車の発車時刻までは、8時間を切っている。
その後目的地の柳州までは、約10時間…。
これは、この長旅でもトップクラスにハードな移動になるに違いなかった。

しかし、値段の安さには敵わなかった。
いちおうAさんには僕の体験談を踏まえて「無座」の恐ろしさを事前に伝えた上で、
これも経験(?)ということで、道連れにさせて頂くことにした。
この時はまだ、Aさんも怖いモノ見たさで乗り気だったが…。

過酷な旅への切符を手にしたところで、
ようやく遅い夕飯を食べ終えたら、もう日付が変わってしまった。
列車の発車時刻まで6時間を切っており、
今更宿を取るのもバカらしいし、何より寝過ごしてしまう方が怖かったので、
駅近くの24時間営業のファーストフード店で夜を明かすことにした。
こうして、ハードな旅路がさらにハードになっていく…。

乗車する時から、早くも気が折れそうだった。
列車の乗車口の混雑度は、朝の中央線快速の中野駅…ってとこか。
降車する人、トイレに行く人、乗車する人が入り混じり、
「譲り合い」のできない人々がワーワー叫び合っている。
後ろからは、「詰め込む」ことしか頭に無い駅員が、
「さっさと乗れ!」と怒鳴っている。
「乗れるもんならお前が乗ってみろ!」とキレたい気持ちをグッと堪え、
少しずつ少しずつ前進するのを待つ。

なんとか乗車口通路を抜けて客席の方へ入って行くと、
いくぶん混雑度は下がり、なんとかザックを床に下ろすことができた。
バスでも何でもそうなのだが、
中国の人々は、なぜか奥に詰めるということをせず、
出入口に固まっていることが多いんだよな…。
この心理は、未だ謎である。

車内の壁には、いくつかの注意書きがあった。
「車内禁煙」、「ゴミを車内に散らかすべからず」、「車内に痰を吐くべからず」…。
しかし現実は、あちこちから煙が上がり、
ひまわりの種やらみかんの皮やらが辺り一面に散乱し、
おじちゃんもおばちゃんも床へダイレクトに「クアァ~ッ、ペッ!」…、

何一つ守られてねぇ!(涙)

確かに、通路は無座の乗客で埋まり、
喫煙所やゴミ箱まで行くのも大変な状況なんだけどさ、
それにしても、これじゃまるでゴミ溜めだよ…。

唯一の救いは、運良く途中から席が空いて座って行けたこと。
でも、仮に最初から席が取れていたとしても、
これは世界でも有数のハード列車だったと思う…。

ただ、同じ硬座でも色んな車両があるもので、
次に柳州から桂林まで乗り継いだ列車は、
立派な空調付き車両で快適な2時間半の旅(もちろん「無座」ではない)であった。
混雑も少ないこういうキレイな車両だと、
皆さんタバコはちゃんと喫煙所で、
痰はちゃんと(?)床以外の場所にしているようだった。
まぁ、ゴミはやっぱり多少散らかってたけど…。

強行過ぎた移動のためか、さすがに丈夫なAさんも疲れ切っており、
桂林に着いてから少々体調を崩してしまったようだ。
お腹の調子が悪くて夜中に目が覚めてしまったと言うAさんに対し、
僕はと言えば、大いびきを掻いて爆睡していたらしい。
色んな意味で、申し訳ない…。

ちなみに、桂林周辺では計3泊したものの、
毎日どん曇りで観光するテンションの上がらない日が続いた。
僕は2年前の7月にも一度3泊4日で訪れたことがあるのだが、
その時は、3日間撮り溜めた写真ごと3日目の夕方にカメラを盗られる、
という苦い経験を味わった町でもある。
今回は悪天候を理由にカメラを持ち出す気力が沸かず、
未だ僕の手元には桂林で撮った写真が1枚も残っていない。
どうやら、この地と僕は相性が悪いのかな…?

ところで、桂林と言えば、「桂林山水」と呼ばれる水墨画のような奇岩風景が有名だが、
今回今一つその風景に心が動かされなかったのは、
天気が悪かったからとというだけでも、2回目の訪問だったからというだけでもない。
羅平から貴陽へ向かうバスの中で、より強烈な印象を残す風景を見てしまったのだ。
特に、興義という町から安順という町へのルートがスゴかった。
桂林以上じゃないかという、カルスト地形独特の巨大な岩山が並ぶ様子も圧巻だったし、
「目の眩むような」という表現がピッタリな峡谷を見たのは、あれが初めてかもしれない。
全く観光地として名の知られていないような地域に、あんな場所があるとは…。
僕は今まで貴州省はノーチェックだったのだが、
どうやらまた面白そうなところを見つけてしまったようだ。
いずれ行ける機会があるかどうかはわからないが、またいそいそと調べてみるかな…。

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旅日記-中国③ | 23:55:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
ボコボコ体験記
中国再々訪問第三の目的地は、羅平。
菜の花油が名産のこの町では、
毎年2月~3月にかけて、郊外の丘一面が満開の花で埋め尽くされ、
まるで黄色の海のような風景が広がる。
…はずだったのだが、今年は暖冬だったのか、
3月頭にもかかわらず、既に菜の花の黄色はほとんど散ってしまっていた…。

本来ならば見られるはずだった風景は、下記サイトをご覧下さい…。
http://www.asia-photo.net/yunnan/gallery/luoping/index.html

早くも春が過ぎ去ってしまい、見どころが無くなってしまった羅平の町。
そんな町中のとある店で、僕はちょっとした騒動を起こしてしまった…。

思い返しても実に下らない理由で、僕はその店の店員に怒りをぶつけた。
それが結果的に「ケンカを売る」形になってしまったのだが、
端から見ても、僕の方にも非があったのは間違いない。

しかし、あそこまでボコボコにされるとは思わなかった…。
初めは、店員の1人と言い争っていたのだが、
やがてその店員がカウンターから飛び出して来て、僕を突き飛ばした。
何度か突き飛ばされながら、店の外へ追いやられ、
そこで3人ほどの店員に囲まれ、あとは拳や棒で殴られ蹴られ…。

恐らく、あの瞬間はこの旅最大のピンチだったのだと思う。
この旅どころか、人生を通して見たって、あんな経験はしたことない。
なのに、ボコボコやられていた時の僕の思考は、驚くほど冴え渡っていた。
人間追い込まれると冷静になるというけれど、これは本当だなと思った。

僕にとってはまず、彼らが「手を出してきた」ことが意外だった。
街を歩いていて、中国人同士でも言い争いをしているのは日常茶飯事で見かけるのだが、
殴り合いのケンカを見たことは無かったように思うからだ。
言いたいことは遠慮なくぶちまけるけれど、決して手は出さない。
そうしているうちに、群がっていた野次馬の1人が「まぁまぁ…」と割って入ったりして、
解決したのかどうかよくわからないけど、いつの間にかその場は収まってしまうのだった。

なのに今回、彼らがこんなにも暴力的になったのは何故か?ということ。
先にも書いた通りで、たしかに僕の態度はまずかった。
けど、1人に対して複数人で襲いかかり徹底的に痛めつけようとする様子からは、
何かもっと深いところでの怒りを感じた。
うまく聞き取れなかったのだが、連中のうちの1人が、
何やら「日本人」に対しての暴言を口にしていたことはわかった。
これまで中国にいて、いわゆる「反日感情」を感じたことは滅多に無かったのだが、
ここが田舎だからということも関係しているかもしれないけれど、
まだまだ心の奥にそういう感情を眠らせている人もいるのかもしれない…。

しかし、彼らの攻撃に手加減は無かったように思うが、
一旦防御体勢を取ってしまえば、意外と痛くないし、耐えられるものなんだな。
まぁ、攻撃してきた連中は揃ってヒョロい男だったし、力も弱かったのかもしれんけど。

一度は拳を出しかけたこともあったが、結局僕は相手を1発も殴らなかった。
それは、僕の弱さであり、忍耐力であり、そして危機回避でもあった。
こちらから攻撃しなければ、いずれ攻撃は止むと確信していたのだが、
逆にもし1発でも殴ってしまったら、さらなる暴力を煽っていたに違いない、と思う。
特に、連中のうちの1人に高校生ぐらいの若者がいたのだが、コイツが最も危険だった。
彼の目や攻撃の様子を見ていて直感的に感じ取ったのだが、
「どこまでやったらどうなる」という思考が働いておらず、加減を知らないのだ。
たとえひ弱そうな奴でも、こういうのをキレさせるのが一番危ない。
それこそ、凶器を持ち出してかかって来てもおかしくないからだ。

それと、この騒動で店中の客が野次馬に群がって来ていたのだが、
僕が一方的にやられている最中でも、誰一人止めに入る気配は無かった。
それを見て、僕は改めて抵抗するのを諦めた。
この観客達は、僕の味方になってはくれない。
まして、こちらから何かを起こすようなことがあれば、全員を敵に回すことになる。
巨大な象(中国)に対して、小さな蟻が1匹(1人の日本人)…、
大袈裟な話だが、そんな構図に立たされているように感じた。
こんなところで、敵うはずもない勝負を挑んでどうする?
大体、そうまでして戦う程の意味も無いのに…。

ここに載せるにあたってだいぶ整理はしたけれど、
あの時、僕の頭の中では確かにこのようなことを考えていた。
集中攻撃を喰らっていた時間は、恐らく1分かそこらだったか、
やがて案の定、自然と彼らの手は止まった。
結果的にはほとんど傷を負うことも無く、その場を脱出することができた。

カッコ悪いし、話そうかどうか迷っていたのだが…、
翌日になって、やっぱりAさん(ベトナム北部より2人旅中)にはこの話を打ち明けることにした。
(騒動の際はそれぞれ単独行動中だったので、Aさんはこのことを知らなかった。)

初めは驚いた様子を見せたAさんだったが、「さもありなん」という感じでもあった。
と言うのも、最近の僕の様子を見ながら、Aさんはしょっちゅうハラハラしていたらしい。
特に中国に入ってからの僕は、
いつも(現地の人達に対し)「戦闘態勢」を取っているように見え、
いずれ本当のケンカにならないだろうか…?と感じていたとか。
つまり、それが見事に的中しちゃったワケだ…。

自分でも、そのことは薄々自覚していた。
どうも僕は、他の国では笑って見過ごせるような色んな「違い」について、
中国に来ると、いちいち苛立ちを感じてしまうようだった。
そして、それに正面から、半ば敵対心を持って挑もうとしている節があった。

長い時間この国に身を置いていたために、
ついつい他の国よりも厳しい視点で見てしまうのは、親近感の裏返しなんだ。
「見過ごす」ことは「諦め」と同じなんじゃないか?
僕はこの国と向き合って行きたいから、真っ向からぶつかっているんだ。

…なんて偉そうな考えが、僕の中にはあった。
それが全くの間違いだったとは今も思っていないのだけど、
僕が考えるべきだったのは、その「ぶつかり方」だった。

中国に生きる人達は、概して自己主張が強い。
けれど、上にも書いた通りで、主張を強く通そうと言い争うことはあっても、
一般庶民レベルで暴力に発展するケースはほとんど無い。
端から見るとケンカしているように見える光景でも、
本当はお互い本気で怒っているわけじゃなくて、
あくまでそれぞれの言い分を必死に伝えようとしているだけなんだ。

僕はそれに倣って、自分がオカシイと感じたことについては主張する、
そういうスタイルを作っているつもりだった。
けど、いつの間にか僕のぶつかり方には、
「怒り」が込められるようになってしまっていたようだ。

Aさんは、そのことをピンポイントで指摘してくれた。
つまり、現地の人たちの口ゲンカと僕の「戦闘態勢」では、まるで別物だと…。
その上で、「怒り」以外のぶつかり方も試してみては?と提案してくれた。
もし、別のぶつかり方にもトライしてみた上で、
やはり今のやり方が正しいと思うなら、そうすればいい。
けど、もし他のやり方が「できない」で怒りをぶつけているのだとしたら、
それは僕が怒りの感情をコントロールできていないだけなんじゃないか?と。

この言葉は、強い説得力を持って僕の中に響いた。
まさに、僕が自ら薄々は気付きながらも、
現状に甘えて何も変えられずにいたことに対して、
ズバッと指摘してくれた上で、さらに道まで示してくれたのだった。
本当は、今までの自分のやり方には、僕自身疑問も感じていた。
だって、怒りをぶつけていても、楽しくないんだから…。
それでも、僕は意固地になって何も変えられずにいた。
今までのやり方を通すことに理由はいくらでも付けられたけれど、
今思えば、それらは全て、変える努力を怠るための言い訳にすぎなかった…。

けれど、Aさんから客観的に指摘されたことで、
ようやく僕の中で踏ん切りが付いたよ。ありがとう。
もしかしたら、僕にとってこの2人旅は、
この時のためにあったのじゃないか…?なんてことを思ったりした。
改めて、出会いの運に感謝!やね。

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旅日記-中国③ | 23:50:05 | トラックバック(0) | コメント(2)
ある1つの地名を訪ねて…
財布が無くなった。
ほんの数分前、昼飯の勘定の時には確かにあった財布が、
ズボンのポケットからいつの間にか消えていた。

盗られたか!?
…いや、この数分の間には、そんな隙は無かったはず。
うっかり穴の空いている方のポケットに入れてしまい、歩いている間に落としたか、
あるいは、先程トイレに入っている間にポロッと落ちたか…。
自分が歩いた足取りを一通り再度歩いてはみたが、
辺りはバスターミナルのある人でごった返している場所だった。
見つかるわけもないな…。

失った金額は、約1,100元+10US$。合わせて約15,000円強か…。
帰国2週間前にして、この旅最大金額の落とし物をしてしまった。
幸いと言うか、財布には貴重品(カード類など)は入れていなかったが、
俺の失くし癖も、とうとうここまで来たか…と呆れるばかり。
「気を引き締めよ!」という、誰かからのメッセージだったのかな…?

返らぬモノを引き摺っていても仕方ないので、
なんとか気を取り直して、中国再々訪問第ニの目的地・壩美(バーメイ)へ。

以前、雲南省の観光地を調べていた時に、
「文山(ブンシャン)」という場所の紹介ページに目が止まった。
それは美しい、まさに秘境のような写真がそこに載っていたのだが、
その写真の地が文山のどこにあるのかはわからなかった。
さらに調べてみると、文山とは、1つの町の名前であると同時に、
その町を中心とする自治州の名前でもあり、その範囲は広大だった。

それでも、文山という場所に何か惹かれるものを感じた僕は、
さらにネット上で文山の見どころ情報を探してみた。
そして、ある1つのサイトで見つけたのが、壩美という村。
紹介内容によれば、その村へは未だ道路が通っておらず、
小舟が唯一の交通手段なのだという。
洞窟を流れる川を越えることでのみ辿り着くことができるのだそうで、
秘境中の秘境、まさに「桃源郷」のイメージそのものの場所のように思えた。

まともな地図も持っていなかった僕は、
「壩美」という地名だけを頼りに、まずは文山の町へやって来た。
そのバスターミナル付近で壩美に関する聞き込みをしたところ、
文山の町から北東へ、さらにバスで約3時間程の場所にある、
広南(グァンナン)という町が基点になるらしい情報を得た。
ちなみに、この広南で僕は財布を失うことになったのだが…。

壩美へは、広南の街中から路線バスが出ていることがわかったのだが、
1時間に1本のはずのバスが、1時間半待ってもやって来ない。
僕らと同じく長時間待ち続けていて、
ついに痺れを切らした地元のおばちゃんが、乗合ワゴンタクシーを捕まえてきた。
案の定シェアメンバーを募って来たので、喜んで参加する。
壩美への道を進んで行くと、バスが来なかった理由がわかってきた。
ただでさえこんな道をバスが走るのか!?と思うほどの悪路な上に、
所々で工事を行っているために、通過に恐ろしく時間がかかっていたのだった。

そしてついに、名前しか知らなかった村・壩美へと到着した。
地図も情報もほとんど何も持たず訪れた町で、
自分の足で地元情報を集め、1歩1歩目的地へと進んで来た。
このようなほとんど行き当たりばったりに近い旅ができるのは、
たとえ多少でも言葉が使えることによる部分が大きいかな…。
他のどの国よりもマイナーでローカルな場所に足を踏み込められることもあって、
やっぱり僕にとっての中国の旅は、ちょっと特別な面白さがある。

幸か不幸か、壩美は既に政府公認の「風景区」として設定されていた。
「秘境」を期待していた場所が観光地化されてしまっていたことは残念ではあるが、
心配していた宿の有無については、これでクリアできた。
風景区内に観光客向けの宿が次々建てられており、
既に供給過剰気味で選び放題だった。
ちなみにこの風景区の正式名称(?)は、「世外桃源 ― 壩美旅遊区」だって。

調べてあった情報通り、村への唯一の交通手段は舟。

こんな洞窟を抜けて行く…。
村への入口@バーメイ

自然の造形。
自然の造形@バーメイ

光差す窓。
光差す窓@バーメイ

出口へ…。
洞窟出口@バーメイ

そして、村の風景が広がる。
洞窟の向こう側①@バーメイ
洞窟の向こう側②@バーメイ

水車が静かに回り続ける。
くるくる水車@バーメイ

村人たち。
村の暮らし①@バーメイ
村の暮らし②@バーメイ
村の暮らし③@バーメイ

中国版ガート。
中国版ガート@バーメイ
村の洗濯場(兼洗髪場)となっている川岸なのだが、
どうしてもインドのバラナシを思い出してしまう…。

草原の少女。
草原少女@バーメイ

村の宿での夕食。
大量3品盛り@バーメイ
油菜の炒め物、じゃがいもの細切り炒め、干し筍炒め、の3品。
中国の一品料理の量の多さをナメてたわけじゃないんだが、
それにしてもここは特に素晴らしいボリュームだった…。
とてもじゃないが2人では食べ切れず、
3分の1ほど残して、そのまま翌日の朝飯になりましたとさ。

ピーチフラワー。
桃花@バーメイ
今もなお、ここは現役(?)の桃源郷なのかもね。
中国内ではどれ程名前が知れている観光地なのかわからないが、
僕らの滞在中は、まだまだ観光客も少なくて、のどかな雰囲気を楽しめた。
かなりの辺境だけど、訪れるなら今のうちがチャンスかも?

夕雲模様。
夕雲模様@バーメイ

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旅日記-中国③ | 00:30:08 | トラックバック(0) | コメント(4)
第三次回来了。
カンボジアからベトナムへ渡って北上するという予定を聞いたところで、
既に薄々感づいていた方もいるかもしれないが、
そう、またしてもあの国に帰って来た。
そしてここが、この旅最後の訪問国となる。

よくもまぁ飽きもせず…と思われそうだが、自分でもそう思うよ。
でも、何かと縁を感じるこの国でラストを締めると言うのも、
ある意味自分らしいかなぁと思ってたりして。

まぁともかく、もう来ちゃいましたので、
第三次中国の旅、スタート!

ベトナム側の町・ラオカイから、中国側・雲南省河口(ハーコウ)への陸路国境。
入国審査官が、僕のパスポートにある前回入出国時のスタンプに気付いた。
前回、キルギスやパキスタンから新疆ウイグル自治区へ入った際、
やたらとチェックが厳しく嫌な思いをしたことを思い出す。
さぁ何を訊いてくるか?と構えていたところ、
「おぉ、お前ウイグルへ行ったのか?旅行かぃ?そうかそうか!」
…とってもフレンドリーでしたとさ。
荷物検査もまとめて機械に通しただけで、ボディチェックも無くあっさり終了。

今回はノービザ(15日まで滞在可)での入国で、
まずは前半で雲南省南部の見どころを回る予定。
河口から最初の目的地である元陽(ユェンヤン)へのバスは朝しか出ていないらしい。
乗り継ぎを狙ってもかなりの遠回りを強いられ、今日中に辿り着けるか微妙だったので、
やむなく河口に1泊して翌日から動き出すことにした。

早速予定外の時間ロスとなってしまったが、
せっかくなので河口の街をぶらぶらしていると、
色んなところで「相変わらずだな…」と感じる。
それは、デカイ声で話す中国人だったり、
バスのチケット売り場での割り込みっぷりだったり、
つっけんどんな店員さんの態度だったり…。
でも、またあれからいくつかの国を回って来たことで、
また少し違った印象で中国を見られるような気もしている。
特に、インドに行って来たことは何かと大きい。
あっちにいる時も時々思っていたことなのだが、
インドと中国の人々を比べて見ていると、
全く違う文化で違う民族なのにも関わらず、何かと共通する特徴が多いのが面白い。
一番似ていると思うのは、良くも悪くも自己主張が強いこと、かな。

中国再々訪問、その第一番目の目的地・元陽。
ここはもう、あれこれ説明するより、写真で見てもらった方が早いでしょう。
こんな風景を見て来ました。

棚田の丘。
棚田の丘@元陽

朝靄の集落。
朝靄の集落@元陽

色々棚田模様。
色々棚田模様①@元陽
色々棚田模様②@元陽
色々棚田模様③@元陽
色々棚田模様④@元陽
色々棚田模様⑤@元陽

桃の木と。
ピーチ&ライステラス@元陽

オレンジの反射。
オレンジの反射①@元陽
オレンジの反射②@元陽
オレンジの反射③@元陽

山荘での夕食(上)と朝兼昼食(下)。
4人の晩餐@元陽
4人の朝餐@元陽
宿のご夫婦と一緒に、4人で食卓を囲んだ。
中国では、やっぱりこうして大皿料理をみんなでつまむ方が楽しい。
料理名がわからんので、詳細説明はサボります…。
ぜ~んぶ美味かったけど、久々の油っ濃さが少々胃に堪えたな…。

耕す人。
耕す人①@元陽
耕す人②@元陽

ブレブレでごめんなさい。
ブレブレ親子@元陽
一風変わった衣服でわかるかと思うけど、
この辺りも少数民族の人達の多い地域だった。
元陽は日本のガイドブックにも載るほど有名な観光地になりつつあるけれど、
その割には、思っていたよりローカルな雰囲気が残っていたのが嬉しかった。

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旅日記-中国③ | 00:10:19 | トラックバック(0) | コメント(2)
2人旅をプチ体験
ハードな夜行列車の終点となったラオカイ駅で、Aさんと合流した。
Aさんとはカンボジアのシェムリアップで出会い、フエで一度再会していたのだが、
ここから先の旅の予定がほぼ同じということもあって、
このラオカイで待ち合わせ、以降2人で移動することになった。

何日間にも渡って2人で行動するのは、僕にとっては旅を始めて以来初めてのこと。
単独行動に強く拘っていたつもりはないのだが、
僕は1ヶ所に長く留まるスタイルではなかったから、
他人と予定をピッタリ合わせて動くことが難しかったのだ。

ただ、2人旅もやってみたいな…という気持ちはあった。
例えば美しい風景に出会った時などに、
この感激を誰かと共有できたら…と思う瞬間、
宿探しで、2人だったらツインをシェアして安く泊まれるのに…と思う瞬間、
食堂で、複数の料理を注文して分け合える相手がいたら、
2倍の味が楽しめるのに…と思う瞬間、
何かをふっと考えさせられることがあった時に、
その考えを確認したり議論(と言うと固いけど…)したりする相手が欲しいな…と思う瞬間、
などなど、やってみたいと思う理由はいっぱいあった。

2人で歩く上で一番のネックになるだろうと思っていたのは、僕の気まぐれっぷりだ。
ご存知の通りで、何しろ僕の旅の予定は気分次第でコロコロ変わる。
自分でも、そんな旅のスタイルに人を巻き込むのは恐縮だし、
だからこそ気楽に1人で歩く方を自ら望んでもいた。

長く2人旅をするにあたって重要なのは、旅のスタイルと価値観が合うかどうかだと思う。
しかし、僕のようなスタイルや価値観に合わせられる人なんて、
そうはいないだろうと思っていたのだが…。

実は、この日記を書いている今現在でも、まだ2人旅は続いている。
お互いにこれは認め合っているのだが、
僕らはどうやら上手いこと意気が合っているようなのだ。
宿を選ぶ時も、食事の店やメニューを選ぶ時も、いつもスッキリ気持ち良く決まる。
かと言って、別にどちらかが我慢をしているワケではなく、
むしろ「こうしたい!」という要望はお互いにいつも主張している。
その方向性が常に合ってるから、特に譲り合うわけでもなく、一緒に楽しめているんだ。

相変わらず、僕の気紛れで行き先を決めた時に、
予想以上に移動の時間がかかってしまったり、
乗り継ぎのバスがうまく見つからなかったり、
それでもなんとか辿り着いた先で適当な宿が見つからず、
何kmも先まで歩いて探すハメになってしまったり、
そんなバタバタに連れ回してしまったりもしている。
それでもAさんは、「行き当たりばったりの旅が楽しいんじゃん!」と、楽しんでくれている。
その言葉が、僕への気遣いなどではなく、本心で言ってくれているのが有難い。

また、「ちょっとあっちまで散歩に行ってくるよ。」
「じゃあ俺は部屋で日記でも書いてるから。」といった風に、
お互いが1人で好きなように動く時間を自然と許し合えている。
どんなに波長が合う人だって、
ペースをピッタリ合わせるためには、多少の気は遣っているはずだ。
どうしても、1人になりたい時だってある。
それをお互いに理解して適度な距離感を保てているから、
僕は2人で動く煩わしさというものを全く感じずにここまで来られているんだと思う。

さて、Aさんと合流後にやって来たのは、ベトナム最北部の町・バクハ。
ここは山岳民族の集まる日曜マーケットが最大の見どころなのだが、
僕らは前日の土曜日に到着したところ、
人影もまばら、空は曇り空で、寒々とした印象だった…。
どうやら、日曜以外は本当に見どころが無い町らしい。

そして翌日、霧で煙る朝の町に、
昨日の静けさがウソのような活気がやって来た。
民族衣装を纏った人々が次から次に町へとなだれ込んで来て、
実に華やかに市場を彩っている。

日曜マーケットの表情。
日曜市場の表情①@バクハ
日曜市場の表情②@バクハ
日曜市場の表情③@バクハ
日曜市場の表情④@バクハ
日曜市場の表情⑤@バクハ
日曜市場の表情⑥@バクハ

路上の即席床屋さん。
日曜床屋@バクハ
この兄ちゃん、とっても愛想良く声を掛けて来たので、
ここで恐らくこの旅最後になる散髪をお願いすることにした。
(やっぱり最初は軽くボッて来たので、交渉はしたけど…)
水で髪を濡らすこともなく切っていたので、
時々ハサミに髪を引っ張られて痛かったり、
仕上がり後の髪の長さがちょっとバラついてたりもしたけれど、
本当に真剣に切ってくれていたので、彼を選んで良かった。

早めの昼食を取った頃から、霧が晴れて青空が見えてきた。
午前中は物色しているだけで何も買っていなかったが、
午後は目を付けておいた品を値段交渉にかかろうと目論んでいた。
何しろ、比較的小さめのザックで旅を続けてきた僕は、
常に中身がパンパンで荷物を増やせなかったため、
今まで訪れた国ではほとんど土産というものを買ってきていないのだ。
それでも、旅も終盤に入って多少は荷物も減ってきたし、
この辺でそろそろ土産調達を…と考えていた。
それに、写真もまだまだ撮り足りなかったし、
意気込んで再び市場へ乗り込んだのだが…。

間もなく、屋台街の脇を通ったところで声をかけられた。
先程散髪してくれた兄ちゃんが、僕を手招きして食事の席に誘っている。
いや、もう食べちゃったし…と思いつつも、
せっかく見つけてくれたんだし、お茶の1杯ぐらい飲んでくか~と座ったが最後、
僕の目の前に置かれたグラスには、透明な液体が並々と…。

地元のお酒のようで、原料は米と思われる。
味は、中国の「白酒」に近い…と言えば、わかる人はわかるかな。
アルコール度数が何%かは知らないが、かなりキツい。
けど、「ヨー!」と1杯流し込んでしまったら…、
あとはもう、盛り上がるっきゃないでしょ~☆

気がつけば、時計は14時。
兄ちゃんらがようやく切り上げて店に戻ると言うので、
僕も席を立って後ろを見たら、あらビックリ!
いつの間にか、市場の店が閉まり始めてるやん!
慌ててまだ開いてる数少ない店へ駆け込んではみたものの、
もうすっかり終了モードの店員さんは、まるで値段交渉に乗って来ない…。
そうこうしている間にも店は次々に片付けられ、
結局、何も買わぬまま日曜マーケットは終了してしまった…。
予定していた土産調達は大失敗、写真も僅かしか撮れず、
単なる酔っ払いが1匹、呆然と立ち尽くしていた…。

まぁ、それはそれで楽しかったからいいか~。
日本の皆さま、ベトナム土産が無くてごめんなさい。あはは…(←バカ)

…と、酒の力を借りて開き直った僕は、
酔い覚ましにすっかり青空が広がった町をぶらぶらすることに。
すると、今度は1軒の家の前でお呼びがかかった。
その家のおじさんに招かれ、お茶を頂くことに。
…と思ったら、さっきまで飲んでたあの酒がまた出てきた~!
ようやく酔いが醒めかけていたのに、これでまた逆戻り。

結局1日飲んだくれてただけじゃんか…、何やってんだ俺は?
…なんて呟きながらも、本当は楽しい1日に満足していた。
今回のベトナムの旅で最後の町となったこの場所で、
僕はようやく本当に素朴なベトナムの姿を見つけられた気がした。
そして同時に、「また来たい」と思える理由も見つけられたのだった。

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旅日記-ベトナム | 23:50:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
退屈 Happy New Year
幸いだったのは、テト期間中でも宿の確保は容易だったこと。
中国と違って、ベトナムでの混雑の原因は「帰省」が中心で、
旅行に出掛ける人口が少ないということなのかな?と勝手に想像。
ツーリスト向けの宿は値段も据え置き、
部屋の空き状況も通常と変わらなかった様子で、テトの影響は全く無かったと言える。

僕が感じたテトの印象は、静かだった。
中国の賑やかさ(見たことは無いけど…)とはまるで正反対で、
家族や親戚で集まってのんびりと過ごす様子は、
どちらかと言えば、日本の正月に近いと思った。

しかし、それは旅行者にとっては退屈そのもの。
元旦の2日前からフエの町に滞在していたのだが、
大晦日(2月13日)までは店や市場も開いていたものの、
元旦を迎えると、ほとんどの店が一斉にクローズした。
目的らしい目的も無くやって来たベトナムで、
唯一にして最大の楽しみだったとも言える「食」が、これでは全く楽しめない!

ならば、日頃車やバイクで溢れる道が静かになったのを機に、
近場の海辺へ田舎へ散歩とサイクリングを楽しむか~!
…と思えば、今度は天気に恵まれず。
元旦はまだ青空も見られたが、
その翌日からは1日中どん曇りで肌寒く、時には小雨もパラつく始末。
乾季のはずのベトナムで、こんな空模様になるとは全く予想もしていなかった…。

北方面への移動が落ち着くのを待つ目的もあって、フエには5泊もしたのだが、
宿などで振舞われるテトのお菓子をパクパクつまみながら、
同じ宿に集まっていた日本人とだべったり、ネットしたり、ダラダラダラダラ…。
まぁ、おかげでブログの更新やら日本への帰りチケットの手配やらも片付いたし、
正月ぐらいのんびりしても良かったかな…。

大晦日、まだ空いていた市場のぶっかけ飯屋。
ぶっかけ飯屋@フエ

そのぶっかけ飯。
ぶっかけ飯①@フエ
近年無類のイカ好きになりつつある僕は、これで半ば興奮気味になった。
甘じょっぱいタレの味がじっくり染み込んでいて、味も申し分無し!

テト元旦に、郊外のお寺へ初詣へ行ってきた。
初詣@フエ
タイやラオスやカンボジアで見られる派手な寺院に比べると、
こちらはずいぶん落ち着いた印象。
ちなみに、この寺のお坊さんの袈裟はこげ茶色。初めて見た色だったな。

境内にある七重の塔。
七重の塔@フエ
フエでまともに出掛けた場所と言えば、ここぐらいか…。

初詣の途中、元旦にしては珍しく空いていたお店にて。
混ぜ米麺@フエ
生春巻き?@フエ
ブン(米麺の一種)の混ぜ麺と、生春巻き。
ここの生春巻きのライスペーパーは、透明度が無くて弾力が少ない。
個人的にはもっちり感が強い方が好みなんだけど、作り方が違うのかな?

年明け4日目になると、ようやくフエの街中では店が開き始めた。
天気はむしろ悪化の一途だったが、これで食事は楽しめる…。

再開した市場にて、またもぶっかけ飯。(前回と同じ店)
ぶっかけ飯②@フエ
今回の盛り付けはおばちゃんにお任せ!
小エビのフライやら揚げ豆腐やら、なかなか嬉しいトッピングだった。

バインコアイ。
かき揚げもどき@フエ
よく「ベトナム風お好み焼き」と紹介されるバインセオという料理があるのだが、
これはそのミニバージョン。(写真は2個分)
焼く時の油が多いためか表面がサクッと揚げたようになっていて、
お好み焼きと言うよりは、かき揚げのように感じたな。
この店ではちょっぴり甘めのゴマのソースをかけて食べたのだが、これが抜群に美味かった!

お次はツーリスト夜行バスに乗り込み、首都・ハノイへ。
フエでは正月モードも過ぎ去り始めていたことだし、
ここでは存分に食べ歩きを楽しめるだろう!
…と思いきや、なぜかこちらは年明け5日目になってもまだ多くの店がクローズ状態。
天気も相変わらずで、なんだか陰気な町に映ってしまった。

それでも、翌日になるとようやく町が起き出した。
同時に昼からは久々に日差しも見えてきて、だいぶ町の雰囲気は明るくなった。
ただ、どうもこの町の店では愛想の悪い人に当たることが多かったな…。
そもそも、なぜかベトナムでは愛想の良い人悪い人の差が激しいように感じていて、
ホーチミンにおけるその比率は5:5ぐらい、
フエでは8:2ぐらいで良い人が多かったのだが、
ハノイでは逆に2:8ぐらいになってしまったかな…。

そんなハノイで、一番楽しかった場所がここ。
ビアホイ仲間@ハノイ
散歩中に喉が渇いてきたので、休憩がてら立ち寄った店。
ここは、「ビアホイ」というドラフトビールを飲ませてくれる庶民的な酒場。
なんと1杯4,000ドン(=約20円)!もしかして、世界最安値では…?
そして写真の彼らは、この場で居合わせた飲み仲間。
昼間っから真っ赤な顔をして、全くわからないベトナム語で陽気に話しかけてきた。
でも、とりあえず一緒にジョッキを持ったら、「ヨー!」(=カンパ~イ!)
それだけで、笑い合える。
言語の壁を越える飲ミュニケーション、なんと素晴らしきことよ。
ビールが好きで本当に良かったと思える瞬間である。

散歩終了後は軽く1人酒もね。
ビアハノイ@ハノイ
ビア・ハノイ。この缶のデザインは購買意欲をそそる?
クセが無く、コクやキレのバランスが取れていて万人受けしそうな味だったかな。

線路脇。
線路沿い@ハノイ
ハノイ~ホーチミン間を結ぶベトナムで最も主要な路線なんだけど…。
整った印象のハノイの町にあって、この辺りが一番下町風情があって好きだった。
笠を被ったおばちゃんとか、あちこちではためく国旗とか、
ベトナムらしさが上手いこと収まったかな?と思える1枚。

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旅日記-ベトナム | 23:35:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
ハードな選択
お隣中国では、旧暦の正月を盛大に祝う習慣がある。
このことはもう日本でも多くの人が知っているかと思うが、
この期間の中国はそりゃもう大変な騒ぎ!…らしい。
実はその時期にあちらに居たことは無いのだが、
街中では昼も夜も爆竹やら花火が鳴り響き、
賑やかを通り越して大騒音の世界になるとかならないとか。

また、この旧正月前後は国中が1週間前後の大型連休になるため、
帰省やら旅行やらで数億人が一斉に大移動をかけ、交通機関は凄まじい混雑となる。
さらに、宿の確保も困難になり、運良く見つかっても大幅な値上げ…。
これは、昨年10月の国慶節連休を現地体験したので、大方予想は付く。

このように、中国旧正月は外国人旅行者にとって恐怖そのものと言えるのだが、
さて、一方ベトナムは?
そう、実はこの国もまた旧正月(ベトナムでは、「テト」と呼ぶ)を祝う習慣を持つ国。
そして、旧暦における2010年の元旦は、新暦の2月14日に当たる。

僕がベトナムを訪れる期間とモロに被ることは、いちおう事前に気付いてはいた。
混雑の度合いは全く予想が付かなかったが、
もしも中国同様の大混雑が起きるのだとしたら…と想定し、
ベトナムを諦めてラオスに逃亡することも本気で考えた。(ラオスでは旧正月を祝う習慣は無い。)
けれども、僕は結局ベトナムに来た。
特別この国に強い関心があったわけでもないし、
混雑を切り抜けられる自信があったわけでもないのに…、何故か来てしまった。
今でも「行く」と選択した理由は自分でもよくわからないけど、
もしかしたら、あの時もハードな道にトライしたかったのかな?

ホーチミンに着いてから早速情報を集めたところ、
まず列車のチケットは1週間先まで全て満席と言われた。
この時点で、元旦の4日前。
どうやらベトナムでは、元旦の前は南部から北部方面へ移動が集中し、
年明け後は、逆に北から南方向が混み合うらしい。
僕の次の目的地は、南北に長いベトナムの中部に位置するフエ。
南部のホーチミンから、まさに今混雑している北方向への移動だ。

ベトナムで恐ろしかったのは、交通手段が値上がりすること。
旅行会社の運営するツーリストバスの値段は、通常の1.5~2倍に跳ね上がっている。
チケットは取れなかったものの、列車も同様に大幅値上げ。国営なのに…?

そこで、最後の選択肢として残ったのが、地元民向けのローカルバス。
バスターミナルで確認すると、これもやはり値段は上がっていたようなのだが、
それでもツーリストバスの価格(値上げ後)に比べたらほぼ半分だった。

タイやカンボジアもそうだったが、
東南アジアの国々において、特に観光地化が進んでいる町の間では、
必ずと言って良いほどツーリストバスが走っている。
通常ならば値段もローカルバスと大して変わらず、
空調やリクライニングなどは当たり前のように付いていて、実に快適な乗り心地。
ツーリスト向けの宿ならその場で予約もできるし、
乗り場も、ツーリストエリア内にあるバス会社のオフィス前など、
歩いて行ける場所であることが多く、
仮に街外れに宿を取っていた場合など乗り場まで距離があったとしても、
泊まっている宿まで無料ピックアップサービスをしてくれたり、まさに至れり尽くせり。
加えて、目的地でもそこのツーリストエリアで降ろしてくれる場合が多いので、
これを利用していれば、ほとんど歩き回らなくても旅ができてしまうわけだ。

それは実に便利で、僕もこれまで何度か利用してきたのだけど…、
あまりに楽チン過ぎて、どこか物足りなさを感じてしまったりもする。
まるで用意されたコースに乗っかって動いているだけのように思えてしまったり…。

わざわざ市内バスに乗って遠くのローカルバスターミナルまで出掛け、
英語もロクに通じない中で時刻や値段を調べ、
ようやく購入したチケットを持って翌朝再びターミナルへやって来たら、
冷房無し、横2人分の座席がくっ付いた硬~いシート(リクライニング無し)という、
とてもこれから約24時間をかけて移動するとは思えない設備のバスが待っていた。
乗り込む際には法外な金額の荷物代を請求してくる運転手とケンカした挙句、
ザックを座席の下に押し込んで「意地でも払わん!」と根気勝ちしたはいいが、
出発は1時間半遅れ、現地に到着したのは結局30時間後…と、
こんな旅の終盤でまさかの最長移動記録を更新してしまった。
…とまぁ、ハッキリ言って滅茶苦茶ハードだったし、
二度とあんな移動はゴメンだと思う気持ちもある。
でも、ちょっとしたトラブルも含め、時に移動でしんどい思いをすることは、
今まで歩いて来た他の国々ではむしろ当たり前のことだったし、
それも含めて旅の面白さだよな…とも思うんだ。

今回はあくまで出費を抑えることがキッカケだったけど、
理由は何であれ、無理矢理にでも「旅」を感じたいという気持ちは確かにあった。
この後、フエから首都・ハノイまではツーリストバスを利用したが、
ハノイからさらに北上する際は、再びローカルの足を選んだ。(やはりキッケケは値段だったが…)
今度は、ハードシートの夜行列車。
クッション無しの木製の座席はまさに「ハード」で、
車内は床で眠る地元民もいるほどに溢れ返っていた。
これまたキツかったけど、ある意味これでテトの混雑を身をもって感じられたし、
結局はその選択にも満足している。

結果的に、ツーリストバスのみを利用するよりもずっと出費を抑え、
テト期間の移動を乗り切ることには成功したけれど、
抑えた出費と言っても、所詮は東南アジアでの物価での話であって、
日本円にしたら数千円でしかないわけで、
何より、時間を大幅にロスしたことは間違いない。
でも、そのロスが無駄かどうかは、人それぞれの価値観の問題。
しんどいし、時間もかかるし、一見何もメリットが無い道だとしても、
少しでも自分だけの経験ができるなら、
僕はそこに価値を感じられるから、それでいいんだと思ってる。
このスタイルは、旅が終わってからも続いていく…、かな?

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旅日記-ベトナム | 23:20:02 | トラックバック(0) | コメント(0)

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